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FW沖縄2015-2

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〈沖縄精神史を紐解く旅〉

 沖縄の精神史を考えたとき、沖縄の太陽の存在を無視することはできません。北風が吹く頃の太陽は、たいへんありがたいもので、太陽の恵みを感じないわけにはいきません。一方で、夏を中心とした暑い時期の太陽の力は、そのあまりの強烈さに暴力的ですらあります。しかし、1年を通じて沖縄の地に降り注がれる太陽エネルギーは、生き物たち生命の源であることに間違いないのです。
 そうした太陽エネルギーによって作り出される台風という代物は、命の源である水をこの島嶼地帯に降り注ぎますが、片方では成長途中の作物などをなぎ倒したりもします。けれども、台風の去った後の強烈な太陽エネルギーは、再び作物を成長させ人間たちの生命を保証するものとなるのです。ある言い方をすれば、沖縄島をはじめとする南西島嶼地帯に暮らす人々は、過酷な自然との否応なしの共存を強いられ、人間ごときの力では逆らいようのない自然の力の前で、自身も自然の一部であると同時に自然によって生かされている存在であるということ嫌というほど思い知らされてきたと言えるでしょう。このように、沖縄における精神文化の土台を作った要素の1つとして、自然との関わり合いの中で意識されてきた太陽や水の存在は無視するわけにはいかないのです。

 古琉球において、最高の神と言えば、ティダの神、すなわち太陽神ということになります。その太陽神から命を受けたアマミクという女神が、琉球最初の土地を創ったと言われています。そうした創世神話を基とした殊に琉球王府では、太陽が出ずる東の地域を聖域として崇めたのです。そうした背景もあり、沖縄における古層の文化や精神を知るために、私たちは沖縄島東方を目指し、中でもその中心となる久高島へと足を進めたわけです。
 久高島そのものの紹介は以前にも書いているので、詳しくは書きませんが、今年は事前に久高島での暮らしを紹介したドキュメント映画を観る機会を得たため、沖縄の離島にある暮らしの歴史を再確認した上で現地に向かうことができ、沖縄にある精神文化が島民の暮らしと共にあることを実感することになりました。例えば、久高島の暮らしの中には、何気なくこうした太陽のリズムが刻み込まれていたりします。夏至の日には、その日の出より差し込む太陽の光が島の北から南を貫くようになっており、そうした自然の造作こそ、見るのではなく、観ることに通じ、見えずとも観ることができ、私たちの暮らしに寄り添い存在するもう1つの世界との共存の証しとして、イザイホーをはじめとする祭祀儀礼が日々のリズムの中に溶け込んでいるのです。

 今どきの言葉を使えば、パワースポットなどという表現になるのでしょうか、久高島に足を踏む入れた途端、多くの人は島全体から発せられるオーラを感じずにはいられません。このオーラというかパワーはいったいどこから来るものなのでしょうか。島を訪れる度にどこからともなく、まるで泉から湧き出てくる清水のようなパワーが波動のように伝わってくるのを感じます。その波動の中心にあるのがクボー御嶽のような気がします。男子禁制のその地に足を踏み入れることは叶いませんが、琉球各地にある御嶽の様相から想像するに、おそらく何もない空間、古い木々の生い茂った森の奥底にぽっかりとあいた陽の光が一筋あたり、まさに八幡の光が帯をなすその一点には、イビと呼ばれる香炉が1つ置いてあるだけでしょう。御嶽はその昔、島民たちの始祖であろう祖先の人々が島に上陸し最初に住み着いた所であろうと言われています。自分たちの歴史が始まった原点に人々は立ち戻り神からの声を繰り返し聴くのです。これこそ、他者との間に成立する対話、それもモノローグではないディアローグとしての対話なのではないでしょうか。こうした神々や自然や神人たちとの対話の積み重ねこそが、コモンセンスとしての絶対的な他者の存在を理解させることとなるのではないでしょうか。こうした行為(実践)によって、琉球・沖縄の人々にとっての絶対的な他者であるところの例えば、ティダ(太陽神)の存在は、人々の共通了解としてこころに刻み込まれていくことになるのです。ティダこそ、言い換えれば、生成の原動力、すなわち生命(イノチ)の源そのものなのです。
 こうした、その昔から伝え続いてきた琉球・沖縄にある精神文化とは、まさに、自然とのディアローグ的な対話の積み重ねによって、人々のこころに刻まれた絶対的な他者であるところの生命(イノチ)の存在を確信する共通感覚(沖縄のこころ)であったと思われます。沖縄における祭祀儀礼や平和運動などの場において、そこで繰り広げられる実践・運動の核心こそ、私が繰り返し主張する〈教える-学ぶ〉行為なのです。結果として、その行為は、ヨーロッパ形而上学でいうところの一神としての絶対的な他者の存在を導くものにはならず、その世界の外に存在するであろう真の他者としての生命(イノチ)の存在に気づき、そうした実践・運動の誠の意味というか、目標、同時にそうした実践・運動の原動力こそが、生命(イノチ)を育み守ることなのだということを沖縄の人々は確信し続けてきたに違いありません。

 今年もそうした琉球・沖縄の精神文化の中に飛び込んだ若者たち、何かを観て聴いてシビレてくれたのなら、共に旅をしたかいがあると言うものです。

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FW沖縄2015-1

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 今年も始まりましたフィールドワーク沖縄。今年のフィールドワークは、2つのチームを迎え、1週ずつ2週にわたり実施をすることになりました。とにもかくにも、沖縄について学ぶこと、沖縄を通じて日本や世界について学ぶことの機会を多くの若者と共有できることは、たいへんありがたいことです。なかには、既に常連となり、毎年の定点観測を行ってくれている人もいます。私たちを巡る社会の変化などに対して、意識を向け続けることは、とても大事なことだと思っています。
 ということで、沖縄にかぎらずですが、フィールドワークを行うことの大事な点について、毎年の繰り返しになりますが、もう一度、確認しておくことにします。フィールドワークの大きな特徴は、やはり、現場に立つということで、まさにアクチュアルな時空において生活者としての共時的な視点から、「見えないものを観る」「聞こえない音(声)を聴く」ということにあります。そして、私たちの場合、そうした力をつけ実行するための術として「対話」という手法を重視しています。したがって、今年のフィールドワークも沖縄における「対話」の旅であることは言うまでもありません。
 では、今年の旅を紹介していくことにしましょう。紹介と言っても、今年は2チームで行った関係上、各々の詳細を書くとたいへんな量になってしまいますので、2回のフィールドワーク中における印象深かったことを中心として書き残すことにします。したがって、時系列等は前後していることをお許しください。
 約5日間をかけた今回の旅は、大きく分けると4つの旅から成り立っています。第一の旅は「沖縄戦を辿る旅」、第二の旅は「沖縄精神史を紐解く旅」、そして、第三の旅は「沖縄米軍基地を知る旅」、最後に、「沖縄文化に触れる旅」となります。

〈沖縄戦を辿る旅〉
 第1日目というか、沖縄に飛行機で来るとき、多くの場合は、那覇空港に到着するわけなのですが、羽田空港などとはだいぶ違うことに多くの人は気づくはずです。それは、民間機が離発着をする滑走路の脇には、多くの軍用機が停まりタイミングが悪いとスクランブル発進による戦闘機の離陸などによって離発着を待たされるときがあります。沖縄における空からの表玄関である那覇空港は、軍民共用の空港なのです。ということで、沖縄という地に足を踏み入れると同時に、否応なしに軍事のこと、基地のことなどを考えざるを得なくなるのです。ただ、こうした軍事や基地による影響は、何も沖縄だけのことではないことを同時に想起しなければなりません。例えば、空域の問題などを見てみればば直ぐ分かるように、米軍基地と呼べる所は何も境界がよく分かる地表だけでなく、空や海にもその領域は広がっています。そうした空域が神奈川や東京の上空にも広がっていることも知っておかなければいけないと思うわけです。特に米軍基地と呼ばれる区域内では、ある種の治外法権的な区域となり、そこでは国民の安全を保証しているはずの日本の法律なども準拠されません。
 さて、沖縄戦を辿る旅をするとき、多くの場合、米軍が沖縄島に上陸した地点を見ることができる場所からスタートして、彼らの進軍と同時に皇軍の退却ならびに県民が避難したルートを辿りながら南下していくことになります。そのスタート地点として、いつも嘉数の丘を選びます。嘉数公園から見渡す風景からはいろいろなことが気づくというか、思い起こされるに違いありません。特に、沖縄戦開始から戦後までの時間の中で眼下に広がる地域に刻み込まれたはずの様々な歴史が立ち上ってくるはずです。沖縄戦時、丘の麓の地域は米海兵隊の戦史にも残るほどの激戦地区となったというが、住んでいた住民たちは、どうなったんだろうかだとか…。現在は、眼下に広がる市街地の平らで広い場所に普天間基地が居座っていますが、もともとは、住民がどのような暮らしをしている場所だったんだろうかとか…。そして私たちは、南へと下っていきます。首里の陥落を前に、たいへんな激戦の場所となったシュガーローフは、今はおもろまち新都心ということで、大型の店舗が建ち並ぶ近代的な街となっています。戦後は米軍の基地として使われ、返還をされた後、新しい街へと変貌したわけなのですが、今でも不発弾の処理や遺骨の収集などが行われています。確かに基地返還と言うと、基地時代にはない経済効果や何より安全な暮らしが取り戻せはしますが、米軍は何ももとの状態というか、直ぐに使える状態で返してくれるわけではないので、造成であれ区画整理であれ取りかかる前に相当な時間と準備が必要となるのです。
 首里以南の南部地域は、ありとあらゆる所に沖縄戦による爪痕が残されています。壕に立ち寄ったり、平和の礎やひめゆりの塔を訪れたりするわけなのですが、途中、昼食にはステーキ屋さんに寄ったりもします。フィールドワークにおいて、特に、過去の記憶をより明確に読み取るには、その当時から繋がる時の流れの中で存在する現在の暮らしをも対比的に観ておくことも大事なことになります。過去の出来事が積み重なり現在の事象が顕れているとすれば、現在起きている事象をも含めた社会や歴史や文化をアクチュアルな視点で観ることが必要となります。そうした見方、聴き方ができてはじめて今や過去の意味が理解できるようになるはずです。事象をアクチュアルな視点で観る。言い換えれば、物事をコト的な視点で観る。こうした作業に欠かせない力が想像力です。想像力と創造力、合わせて構想力とでも言うとよいかもしれませんが、そもそも、人が本来生きるために持っていたはずのこうした能力は、世の中の近代化とともに紛れてしまったに違いありません。フィールドワーク学習の目的の1つは、こうした構想力などを取り戻すと同時に養成していくことにもあります。さらに踏み込んで言えば、こうした力を持つ人間たちが、社会や歴史や文化を作ってきたことを自覚しながら、目をこらし、耳を澄ますことが大切になるのです。学術的な言い方をすれば、現象学的な視点ということになるかもしれません。
 南部を中心とした沖縄戦を辿る旅の中で、印象に残らざるを得ないことが、戦時における軍隊や政府(戦後も含め)のあり様です。軍隊を持つということ、戦争をするということの実体がここに明確になります。昨今の日本では、国の安全保障というと、簡単に軍事力による抑止論的なものが主張されますが、太平洋戦争における経験を多くの方々は忘れてしまっていると言わざるを得ないと思います。そうした忘却された事柄の中でも、沖縄を訪れると繰り返し思い知らされることは、当たり前の帰結ではありますが、「軍隊は国民を守らない」ということと、「政府は、平和を守るための戦いだと、教育などを使い戦争を正当化する意識を巧妙に国民に刷り込む」ということです。そして、戦後においては、そうした政策を支持した国民にも責任があるかのような贖罪の感情を作り上げることです。
 昨年来、政府は集団的自衛権行使の容認へとその舵を取りました。やれ、切れ目のない安全保障のためだとか、米国との関係強化だとかと耳触りのよい言葉を並べていますが、簡単に言えば、戦争をできる国にするということです。どのような形や理由であれ、戦争をするということの意味を思い起こさなければなりません。その全ての実体の記憶がここ沖縄には刻み込まれています。嘉数の丘に、シュガーローフに、十字路に橋に、壕に、魂魄の塔に、摩文仁の丘に、韓国人慰霊塔に、平和の礎に、ひめゆりの塔に…。見えないことを観、聞こえない声・音を聴きと…、目を凝らし、耳を澄ませ…。

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沖縄県知事選挙2014

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 沖縄県知事選挙が近づいてきました。今まで行われてきた様々な選挙の中でも、今度の沖縄県知事選は、沖縄県としての民意は当然として、日本全体の未来を展望する選挙になるような気がしています。そこで、今度の選挙がどういった意味を持つのか、僕なりの視点から考えてみることにしました。今回の沖縄での選挙の意味について考えたとき、僕の頭に浮かんだキーワードは、民主主義でした。正確に言えば、近代民主主義ということになります。沖縄も含め、日本にとっての近代民主主義のあり様が、問われるのではないかと直観的に思ったのです。今回は、なぜ、そう思ったのかの理由を思いつくままに書き留めておこうと思います。

 いわゆる近代民主主義という仕組みは、欧米出自の輸入システムであったことを、私たちは認めざるを得ないと思います。したがって、そもそも、特に出自元であるヨーロッパにおける近代民主主義の特徴というか、基盤となっていることを再確認しておく必要があると思います。ただ、再確認をすると言っても範囲を広げると収拾がつかなくなるおそれがあるので、とりあえず、民主主義の仕組みを支えていると思われる中心的概念を1つだけ取り上げて考えることにしました。その概念は「自由」です。民主主義という仕組みにとって、この「自由」という概念はなかなか取り扱いにくい概念であることは、多くの方は知っているはずです。簡単に言えば、民主主義と「自由」は、そもそもは相性が悪い、むしろ、反駁し合う概念であったからです。その反駁し合う概念をどうにか折衷させたというか、正当的に両立させたのが近代民主主義ということだと思います。今回は、民主主義と自由主義との関係経過についての説明には深入りせず、近代民主主義において、「自由」は重要な基底概念であると位置づけ、近代民主主義全体の構造について、「自由」という概念をキーワードにして少しばかり考えてみたいと思っています。

 ということなので、少し途中をはしょりますが、ヨーロッパにおける近代民主主義という仕組みに組み込まれている「自由」という概念をどのように見たらよいかということから、話しを進めていこうと思います。近代ヨーロッパにおいて「自由」という概念を考えるとき、1つの参照者としてカントを無視することはできないでしょう。カント的な視点から考えれば「自由」は、哲学、すなわち科学的に検討する対象ではなく、全ての人間が彼らが言うところの絶対的な他者である神から与えられた本性(本能)的な能力の1つであるということになると思います。したがって、そもそも人間が平等に与えられている自由という本性の生起を保証されていないとしたら、自由を発揮することを阻害している精神的なものであれ、物理的なものであれ取り除くことが必要となるのです。

 まずは、精神的といいますか、意識的な部分の話しからしましょう。「自由」の意識を取り戻すというか、獲得することは、他のところでも書きましたが、自律的な精神を獲得する、すなわち、立派な人間になることを意味します。精神的な分野において、頽落してしまっていると思われる「自由」の意志を人々に取り戻させるためには、教養主義的な教育が必要であることは以前、どこかでも言いました。つまり、この文脈においては教育というものは、既に神によってより人間らしくなるために与えられている要素を顕在化させるためのものとなります。ここのポイントは、唯一の創造の主である神によって作られた、既にあるものの顕在化であるという点です。

 この流れから、次にシステム的(制度)な話しを付け加えると、欧米出自の近代民主主義というシステムは、上述したような欧米出自の近代教育というシステムと同様に、絶対的な他者であるところの神によって全ての人間に与えられた「自由」を実現保証するためのシステムであるということを忘れてはならない点です。特に、ここでいう絶対的な他者であるところの神とは、欧米の場合は、キリスト教的な神であることは言うまでもありません。この前提、すなわち、欧米的な近代民主主義は、キリスト教的な神の存在を前提とした制度であるということになります。アメリカの民主主義などを見ても、このことはよく分かります。

 さて、こうした特徴というか性格を持つ近代民主主義という仕組みを近代以降の日本は、輸入をし根付かせようとしました。おそらく、太平洋戦争の敗北で、より一層、アメリカ型を中心とする欧米型の民主主義を強力に戦後の日本に適用させようとしてきたに違いありません。そうしたとき、欧米型の近代民主主義を機能させるための前提として必要なものは、ある意味では、システム稼働の原動力なるべく絶対的な他者としての神の存在、特に欧米型であれば、キリスト教的な神の存在だったのですが、一般の日本人は、こうした神に相当するような絶対的な他者観を持ってはいませんでした。しかしながら、民主主義というシステムを効率よく稼働させるためには、これに準じたものが必要であったのは言うまでありません。神なきままにスタートした戦後日本の民主主義は、欧米型の民主主義を効率よく稼働させるためにどうしたのか…。

 意識的に据えたのか、流れとしてそうなったのかは分かりませんが、戦後の日本では、民主主義というシステムを効率よく稼働させるために必要であった、普遍的な力としての原動力であると言ってもよいと思われる絶対的な他者としての神の代替物として、資本主義社会における理念と親和性の高い「貨幣」を置いたのです。つまり、貨幣を絶対的な他者とした日本型の民主主義を確立していくことになるのです。言い方を換えれば、貨幣を絶対的な神とした新たな天蓋教的な宗教を作り出したと言えるのかもしれません。この日本独特の資本主義/民主主義は、欧米のような宗教などによる道徳・倫理観に縛られないだけに、暴力的に人々が持つ、特に、物質的な物への欲望を満たすための日本型民主主義/資本主義となって定着していくことになるのです。そして、いつしか教育をはじめとする国内の多くの制度が、常に貨幣の存在を強く眼差す仕組みへと変化していくことになります。本来、人々が本性的に持っていた自由だとか平等とかという意識を保証するための民主主義という制度であったものが、いつしかその目的というか機能が転倒し、貨幣獲得ありきの価値観が当たり前であるという意識の正当化の拠り所となると同時に、システムの目的が転倒していることに気づかない人々の再生産を支援するものとなってしまったのです。

 このようにして、特に、戦後の日本に定着をした欧米近代民主主義風、日本的民主主義は、細かい部分はまだまだ言い足りないのですが、大雑把にまとめると、貨幣の存在を絶対的な他者とした日本型民主主義なのではないかということです。

 欧米型近代民主主義は、確かにその前提として絶対的な他者としての神の存在がありますが、神によって創り出された自由などの価値は、人間の手による科学的な操作によっては変質させることのできない普遍的な存在として共通に了解されています。したがって、欧米型近代民主主義は、人間が関与することのできない歯止めがある。しかし、戦後日本の民主主義には、欲望のみによってその存在を担保されている貨幣が神であるがゆえに、強い原動力を発揮するかわりにその拡大に歯止めはないわけです。結果として、民主主義の稼働の形態において、常に、いのちを保証することよりも貨幣を獲得することが優先されることになるわけです。原発事故後の日本とドイツの政策の違いを見れば、このことはよく分かります。

 前置きが長くなりましたが、今度の沖縄県知事選挙は、本稿の流れから言うと、日本的民主主義と沖縄民主主義との闘いということになるわけですが、では、前述したような日本的民主主義と沖縄民主主義は何が違うのでしょうか。確かに、沖縄も日本同様に近代になってから民主主義という制度を輸入したという経過は同じです。1つ1つのことを細かく実証していくことは本稿ではできないのですが、いくつかのポイントを思いつくままに拾い上げると、「版籍奉還なき廃藩置県であったこと」、「アメリカ軍による占領を経験したこと」、「戦後の日本型民主主義に曝されたこと」などなど。これらのポイントがどういうことなのかというと、まずは、そもそも琉球・沖縄の島嶼地帯には、島々独自の絶対的な他者観念が存在していたということ、次に、日本から切り離されたことによって、アメリカ民主主義と対峙する意味で、自分たちの民主主義を確立し質を高める必要があったこと、日本国憲法の存在などから、自分たちより正統性の高い民主主義だと思っていた日本の民主主義は、基地問題等のやり取りを経験する中で相当に頽落(目的を転倒している)したものであると気づかされたことなどとなります。

 まとめると、「沖縄民主主義は、欧米型民主主義がその存在の前提として必要とした絶対的な他者としての神に相当するものとして、一般の人々の意識の中には、自然(生きること・いのち)の存在が既にあり、そうした『いのち』の概念を民主主義の原動力とすることは、ある意味で、欧米型の民主主義のあり様より正統性が高いということを理解している」ということなのではないかと考えています。こうした沖縄民主主義の特質について考えるとき、阿波根昌鴻さんや瀬長亀次郎さんたちの闘い、そして辺野古などで続けられている運動、これらの闘いや運動が、「いのち」を守るためのディアローグ的な対話を中心とする闘い・運動であることを忘れるわけにはいきません。そうした積み重ねが、同じ輸入された民主主義であったにも関わらず、日本とは違う、ある意味で欧米型民主主義をも乗り越えた沖縄ならではの「ラディカル民主主義」を育てたのではないのかということです。

 ということで、重ねてになりますが、今度の沖縄県知事選挙は、貨幣を獲得することを原動力とする日本型民主主義と、「いのち」を守ることを原動力とするラディカル民主主義である沖縄民主主義との闘いであり、さらには、日本における民主主義というシステムの未来におけるあり様をも占う意味(転機になってほしい)を持つものだと考えています。民主主義の闘いという視点から今度の選挙を見てみました。
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発展ループ

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 以前から、近現代に入ってからいわゆる近代資本主義国で、〈バブル→恐慌→戦争〉という見せかけの資本主義的経済発展のループから、抜け出した国は、未だかつてないと話してきました。

 見せかけとは言え、現代の日本が、戦争以外の方法で再度発展基調に回復できたとしたら、それは人類史上初の出来事で、凄いことだと言いましたが…。再度の発展基調に日本を乗せるべくポイントは、言わずと知れた成長戦略で、それも、他の国々がまだ気づいていないような知識や技術を駆使し、新しい分野、すなわち新市場を開拓できるかにかかっていたわけです。
 結果として、新しい政権ができ2年近く経ちましたが、第3の矢と称された成長戦略はその姿すら現さずです。まぁ、冷静に考えれば当然と言えば当然で、世界の先駆けとなどと考えると、そこには、独創的で先見性がある視点や実行力が必要となるわけですが、そうした力や環境を引き出し作る努力をしてきていない我が国が、2年やそこらで、変身できるはずがありませんでした。

 すると、やはり、近代資本主義というシステムが持つ、自動ループへとはまっていくことになるのでしょうか…? おそらく、法的暴力には法的暴力で対抗するしかないのと同様に、もし、資本主義というシステムにおける偽発展ループを阻止するには、憲法9条のような法によって、そのリピートを拒むしかないでしょう。

 さて、現政権は、意図的なのか、それとも無策ゆえなのか、そこは分かりませんが、いわゆる近現代資本主義システムにおける正統的な発展手段である「戦争」、正確に言えば、戦争ができる国になるための準備を着々と進めているように見えます。その準備の流れでうまいと思うのは、自らが主体となって戦争を引き起こすのは、いろいろな意味で難しいことを承知しているせいか、他国などの大義に乗り、支援というか、援助というか不義理は働けないので、ふつうの国としては、当然、援護のために荷担するというような雰囲気を作っている点です。一般的な言い方とすれば、兄弟や親友のために一肌脱ぐのは当たり前という感じです。

 新しい発展のために戦争に特化していく、一番簡単な方法であると同時に、そうした流れが前提のシステムなのかもしれません。したがって、秘密保護法・日本版NSC・集団的自衛権、武器輸出三原則撤回など、ある意味では、政府にとっては選択の余地のない既定路線なのかもしれません。

 それにしても、特に日本の人々は、戦争をするとその結果、どのようなことが起きるのか、今もってしても思い知らされているのに、そうした負のスパイラルの存在に対して、どうして鈍感なのでしょうか? 戦争にかぎらずですが、事故なども含め、様々な教訓や経験がなかなか活かされない…。

 貨幣優先であるこの巨大な自動引き戻しシステムの中にあって、そのシステムが自動的に作り出すループに、再び引きづり込まれないようにするために、私たちはどうすればよいのか…。この巧妙な巨大システムは、それが自動的に稼働している証拠として、私たちをドンドンと生き辛くさせているわけなのですが、そうした事実に対して、多くの人が人間としての健全な反応によって抗っているのに、そのような健全な抵抗に対しても、自己責任論などをかざし、本人の努力不足であると個人の問題へとすり替え、リセットへの最終局面へと繋がる個体化を強力に推し進めています。

 大きく強い流れの中で翻弄されながらも、自分に何ができるのか…。いろいろと考える日々です。

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那覇トークイベント2014-2

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 後半は、まずは、本日伝え考えたいことの中心であった、沖縄から考える「学び」と「平和」への流れを作るべく、僕が、今、感じている沖縄から考える「学び」と「平和」の関係について、少し話しをしました。内容は、以前、このブログでも書いてように…。

 日本復帰前の沖縄の平和運動、復帰後の平和運動、そして本土における戦後の平和運動などを比べたとき、例えば、復帰前の平和運動であった阿波根さんたちの運動は、国家に属していなかったがゆえに、最終的な運動の目的・原動力は、「生命を守る」ことだと主張するようになった。戦後の本土での平和運動の多くの目的・原動力は、「憲法、特に、9条」を守ることにあると主張した。特に、戦後の日本においては、国家のあり様を規定している憲法において、平和であることを9条などが保障しているのだから、平和運動などの主張は、憲法を守れとなるのは当然の帰結であるように思われた。では、復帰後の沖縄の平和運動、例えば、辺野古での運動などではどうなのであろうか…。昨年、僕たちが行ったフィールドワークにおいて、運動の目的・原動力を尋ねた私たちに対して、辺野古の人々は、憲法を守ると言った上で、やはり、生命を守ることと主張を重ねた(ここでいう守る生命とは、単体の不連続の生命ではなく、地球上で綿々と受け継げられてきた生命一般の根拠をいう)。

 ここで僕が投げかけた問いは、沖縄で平和運動をすると、運動に参加をしている人々が、どうして、その運動の目的・原動力が生命を守ることにあると、気づくようになるのかということでした。こうした僕の問いに対して、田仲さんは、最近になって言われるようになった「ヌチドゥータカラ」などという言葉が広まる前から、そういった沖縄の事例は多くの所にあり、例えば、金武湾を守る運動などもそうだったと指摘され、彼らの運動の中心にも、水俣で運動をしている人々たちとの交流・連帯という学びの場があったことを紹介していただきました。

 そして、さらに僕が自身の活動の経験から、生命(いのち)の大事さに気づくには、他者と共に生きる(アクチュアル)という体験が必要なのではないかということ。さらに、そうした場では、ディアローグとしての対話が生起するのではないかと指摘させてもらい、こうした環境というか、暮らしが、自ずとあるのが沖縄という場所の特徴なのではないのかと話しを続けました。そんな僕の話に、田仲さんが、確かに、昔はユイマールと言ったような、そうした共生環境があったが、今では沖縄も都市化が進み、そうした環境も崩れてしまっているはず…。だが、東京の学生と沖縄の学生との共同プログラムの経験から、田仲さん自身は、学生に変わりはないでしょと思っていたが、沖縄の大学で教えているW先生からは、何かボタンを押されると出てくる沖縄の学生ならではの身体化された特性があるはずだと指摘された。一方では、やはり、現代沖縄においては、学問の場や世代間等における真の対話はなかなか成立せず、平和というスローガンすらも簡単に違う言葉へと上書きされていく…。

 私たちの話しに続き、会場に来てもらった若者たちを中心にして、沖縄を巡る意見を交換しました。まさに、今日のこの場が、学びの場としての平和運動のただ中となっていったのでした。

 はじめに、今回、初めて沖縄に来た若者たちに、今回の旅の印象や感想を聞くことにしました。「沖縄のことについて、来る前からいろいろと学んでいたつもりだったが、現場で実際のヘリの音などを聞くと驚く」「軽自動車の多さなどを見たとき、経済的な格差が潜んでいるのではないかと感じた」「フクシマでの原発の事故など、その実態は、普天間・辺野古と繋がっている気がした」などの意見、そして、質問として、「分かることと知ることの違いを意識したが、分かること(考えること)をするためには、どうしていったらいいのか?」
 この質問に対して、田仲さんの方からは、アメリカでの研究を終え帰沖した当時の自分の意識を例にしながら、これまでの日常と目の前にある実際とを比較をすることで、今まであたり前だと思っていたことが、そうじゃなかったと気づくことが必要だと助言をしてもらいました。

 次に、沖縄出身で本土の大学へと進学した若者たちの声。本土では、「戦闘機の音が聞こえない」「空がせまい」「海が見えない」「あるのが当たり前と思っていた自然がない」「私たちが思っているいじょうに沖縄のことを知らない人が多い」などなど、その後は、沖縄に来て、また、沖縄から出て、触発された意識の変容について、様々な意見が交換されることになりました。

 ということで、今回の催しの簡単な報告とさせていただきますが、少しだけ感想というか、感じ考えたことを付け加えておきます。結論じみたことを先回りして言うと、やはり、こうした時間・空間を創ることがとても大事だということです。今回は、出版記念という形でしたが、平和について考える対話の場を創るということは、そこに学びの場が出現することでもあり、平和の問題を考えるときに陥りやすい、安易な相対主義化であるとか、本質主義化的なものへの回避としてたいへん重要な行為であるということを実感しました。ましてや、今回の対話の中で、終始意識された言葉の1つが、「いのち(生きること)」であったのは、今回の本の主旨や、日々、僕が考えているような学ぶことの意味の方向性が、そうは間違ってはいないことの証明ともなり、まさに、僕のこころは、安心し平和なこころ持ちでこの日を終えることができたのでした。

 誠に実りある対話の時間となりました。ご参加していただいた方々、こころからお礼申し上げます。

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那覇トークイベント2014-1

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 去る2014年8月15日、那覇Bar土さんで行われた『沖縄平和学習論-教えることを手がかりにして-』の出版記念トークイベントの報告をさせてもらいます。報告と言っても、約2時間にわたり行われたイベント、内容はなかなか濃密で、それを全て細かく報告することは無理なので、ポイントというか話の中心をかいつまんで書かせてもらうことにします。

 どういった人々がどのくらい集まっていただけるのか、皆目見当がつかないままに当日へと突入しました。4月に出した本の出版記念としただけに、やはり、「平和」というタイトルが前に出ざるを得ません。あちらこちらで目や耳にすることができる「平和」という言葉だけに、今回、僕たちが対話をしようとしている「平和」とは、どんな特徴を持つ「平和」なのか、あちらこちらにある「平和」と僕たちが考える「平和」とを比較検討するための対話の場がつくることができたらいいな~、という想いを込めて、イベントタイトルは、「平和について語るときの私たちの流儀」としました。

 会場は、那覇の路地裏に第4次空間的なたたずまいで存在するBar土さん。南国の太陽も傾く、午後6時30分、僕の心配をよそに続々と人々が集まってきてくれました。なかでも、若い世代の人たちが多く来てくれるといいなとの想いが通じたのか、地元の大学生をはじめ、ちょうどフィールドワークで沖縄に来ていた大学生など、全国の若者が多く集まってくれました。僕たちを入れて30名近い人々が集まり、8月の熱い夜が始まったのでした。

 土の2階は、隠れ家中の隠れ家のごとく、30名ほどの人が入れる小ホールになっています。そんな居心地のよい空間にて、対話が始まりました。まず、初めは、僕と田仲さんの簡単な挨拶から…。あーぁ、田仲さんとの出会いから、もう10年以上経つのか…。人の出会いというのは、不思議なもので、縁があるというか、相性がよかったというのか、続く人とは、その交流が長く続くな~、と出会いの頃のことをつらつらと思い出していました。

 挨拶の後は、せっかくの機会なので、僕の方から、この本のキーワードについて説明をしました。詳しく知りたい方は、本を読んでいただくとして、そもそも、この本というか、この本の下敷きとなっている授業は、平和をテーマとした総合学習の授業をどう創るかが目的であり、その外観としては、科学的な手法を使った平和の相対化までだったはずでした。ところが、授業を進めていくにつれ、その場が、まさに平和運動のただ中となり、対話の場となり、私たちにとっての真の平和とは何かということまでも展望するような場となったのです。ということで、そんな変化の様子を書き表したものなんですが、そうした思考というか思索というか、授業を創るときの準備の契機として僕が用意したものは、4つの言葉でした。「2つの対話」「2つの平和」「2つの暴力」「2つの他者」。

 一見すると二項対立的な世界へと引きずり込まんとするこうした切り口は、結論への展開と対比するための糸口でしかないのですが…、田仲さんには見抜かれましたけどね。ともかく、2つの世界観について簡単に説明をしました。「2つの対話」とは、「モノローグ」と「ディアローグ」、「2つの平和」とは、「カント的平和」と「ヘーゲル的平和」、「2つの暴力」とは、「神話的暴力」と「神的暴力」、「2つの他者」とは、「絶対的他者」と「真の他者」、こうした言葉周辺の詳しい考察については、是非、本をお読みください。

 僕からのキーワード解説の後は、田仲さんからのこの本についての解説ならびに感想・印象などについて話してもらいました。たぶん、この後、田仲さんが話してくれたことは、近いうちに、どこかの書評に出ると思いますので、詳しくはそちらを読んでいただくとして、ここでは、当日のお話で、印象に残ったことを中心に紹介しましょう。
 読んだ印象を直観(直感)的に語ろうと始められた田仲さんの話を、思い出すままに簡単に紹介しますと、まずは、ともかく、この本が沖縄平和教育論ではなく、沖縄平和学習論だったがゆえに、手に取り読もうという気にさせたということ。平和学習の場における〈教える-学ぶ〉ことの重要さ。特に、学ぶという行為が持つ、「対話(ディアローグ)」な環境の生起。そして、運動を通じ変化をしてきた沖縄における平和観。9条厳守中心主義的なものから生存権・社会権の確保が中心の運動へ。3.11以降の世界において、「生きること」の大事さの再認識。ゆえに、沖縄でも二項対立的なものから、真の他者の存在への気づきへの意識の変化などというお話でした。

 この後は、会場に来ていただいた方々も交えた「対話」の時間へと広がっていったので(沖縄から考える「学び」と「平和)、そこらへんの様子についての報告は、次回させていただくとして、当日、この後に上述した田仲さんの話に応答した部分について、少し付け加えておこうと思います。

 田仲さんも指摘をしているように、特に、3.11以降の日本では、生きることや、いのちの大事さについて再認識をするという意識が高まっています。そうした流れにあって、沖縄の場合は、確かに、3.11以降においてもそうした意識の高まりは当然あるのですが、僕の感覚からすれば、この本の中でも書いたのですが、戦後沖縄における平和運動などの経験からも分かるように、真の他者としての「生命(生きること)」の存在の気づきは、かなり一般的なことであるような気がしています。こうした状況は、僕の主張からすれば、そこに〈教える-学ぶ〉行為を媒介とした「対話」を中心とした暮らし(アクチュアル)が存在していることを裏付けています。

 「学ぶ」という行為も、同様に生きるためのもので、生きるため、生命を担保するために学ぶのだとすれば、こうした行為を支えている原動力は共通したもので在る可能性は高いわけです。つまり、存在の問題に行き着くことになるのです。ここらへんのことについて対話後、つらつらと考えているとき、琉球にある「すでる」という言葉を思い出しました。この「すでる」という言葉は、古代ギリシアにおける「ピュシス」に近いもののような気がしています。そうだとすれば、「すでる」という感覚が、ある意味で、琉球・沖縄のコモンセンスとして長くその社会の基底意識として残ったのはどうしてなのか、などという存在の問題と重なる課題も浮かび上がるのです。
 後半の「対話」についての報告は、次回にしましょう。

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「教育」と集団的自衛権

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ここ数年、僕は「オルタナティブ教育論」という、若者たちとの「対話」の時間を持っているんですが、今年ほど、国家教育であれ、オルタナティブ教育であれ、日本における教育のオルタナティブ性を考えざるを得なくなった年はありませんでした。

それは、集団的自衛権の行使との絡みでより鮮明にというか、明確になったからです。ただ、この話の前提として注意が必要なことは、とりあえずは、「教育」という範疇の話しだということです。

というのも、僕自身は、「学び論的転回」を経て、「教育のオルタナティブとしての学び」を眼差している関係上、オルタナティブ教育を「教育」の外に出るための重要なプロセスの1つだと考えているからです。そうした前提を明確にした上で、「教育」と集団的自衛権行使の関係において、考えたことを書いておきたいと思います。

特に、近現代における、「教育」というものを考えたとき、それは、国家、近代以降であれば国民国家において、その国家によって規定されたシステム(制度)の1つであることは明らかです。つまり、「教育」という制度は原則として、国家内において稼働している代表的なシステムの1つであると言えます。したがって、そうした1つの国家内において稼働している教育という言葉がつく○○教育と呼ばれるものは、その存在の拠り所となるであろう国家のあり様が、たいへん重要な要素となってくるわけです。ある意味で、当たり前の話ではありますが…。となると、これまた当然の話ですが、そうした国家のあり様を規定しているものが憲法となるわけですから、憲法とその国家内で実施されている「教育」と呼ばれているものとの関係は非常に緊密なものとなります。

こうした視点で考えたとき、その国家のあり様を規定している憲法において、その決定的なというか大きな違いとして上げなくてならないのが、戦争の放棄や交戦権の破棄などが明記されているか否かという点は無視することはできません。で、現状について言えば、こうした条項を日本国憲法では、その第9条として明記しています。一方で、欧米諸国では、こうした9条のような条項を持つ憲法を維持している国家は見ることができません。このような、国家のあり様を規定している憲法が持つ性格の違いは、その憲法によって規定されているその国家内において実施されている「教育」に対して、大きな影響を及ぼしていることは言うまでもありません。

つまり、欧米の場合、国家教育であれ、オルタナティブ教育であれ、国家に属して教育的営みを行っている以上は、そうした場で教育的に保証されていると思われる、例えば、「自由」だとか、「自律」だとか「平和」というものは、いざというときには、憲法などによって許されている軍事力の行使などで、その存在を担保されいる国家の持つ意味内に留まることになるのです。そのことは、米国などの例を見ると分かりやすいと思います。教育の現場で主張される「自由」とか、「平和」は、その国の、米国であれば米国にとっての自由とか、平和という意味になります。まぁ、当たり前と言えば、当たり前の話です。

この視点から考えた場合、日本の「教育」は、国家教育であれ、オルタナティブ教育であれ、欧米諸国とは、基本的に違う規定(憲法)からなる国家であると言え、そうした国家規定に沿う形で、「教育」という行為が実施されているわけです。したがって、上述したように、日本の「教育」の現場で主張される「自由」とか、「平和」という言葉の意味は、確かに、日本の自由や平和ではあるかもしれませんが、欧米諸国のように、軍事力によって担保された自由や平和ではありません。つまり、同じ「教育」という現場で、同じように「自由」とか「平和」とかという言葉を使ったとしても、その意味は、厳密に言えば、軍事によって担保されたそれらであるか、非軍事によって担保されたそれらであるかという大きな違いがそこにはあるわけです。こうした違いを踏まえた上で、欧米諸国と日本の「教育」のあり様を比較した場合、明らかに違う教育観(価値観)を拠り所として実施されている行為であると言えます。

こと「教育」という範疇から見れば、欧米の価値観(国家観)から見たら、まったく違った価値観をもとにして行われている日本の「教育」は、価値観の違うものというオルタナティブ本来の意味をも含めた、オルタナティブな教育ということで、本当の意味のオルタナティブ教育を指すものなのかもしれません。

若者たちとの対話の時間では、こんな前提を確認しつつ、では、欧米における国家教育とオルタナティブ教育の比較、日本における国家教育とオルタナティブ教育の比較などというように、より深い議論検討へと入っていくのですが、欧米の「教育」に対するオルタナティブとしての日本の「教育」という視点である今回の話に焦点を絞れば、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使という話は、まさに、日本の「教育」の根幹を揺るがす話なのです。日本の「教育」のあり様の前提が、覆る話なわけです。この重大事に、教育のいわゆる現場からは、あまり声が聞こえてきません。自分たちが現場において使ってきた、子どもたちに伝えなくてはいけない言葉として大事にしてきたものの意味が、180度違う意味になってしまうことに対する不安や恐れはないのでしょうか…。状況変化・状況認識に対する反応の鈍さが、少々気になっている今日この頃です。
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『沖縄平和学習論-教えることを手がかりにして-』

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 少々、遅くなりましたが、以前から予告していました新しい本が発刊されました。今回の本は、一昨年まで大学の教職課程で実施をしていました講義の講義録をもとにして書き上げたものです。沖縄を学習リソースとして、「平和」について教えることを通じ、「平和」のことを学ぶ実践的学習書です。
 文章の量もあまり多くなく、活字も見やすいサイズで、レイアウトもわかりやすく、半期分の講義を受けるような感覚で、対話形式で「平和」について学ぶことができる平和学習の入門書になっています。

 そして、この本のキーポイントは、やはり沖縄の平和に関する事象をテーマとして、平和の意味や、平和を学ぶことの意味を考える機会となっている点です。さらに、そうした沖縄をテーマとした学習理論書を沖縄にある出版社から出せたこと、そして、この本が少しでも日本の様々な所に広がってくれるとしたら、長きにわたり、沖縄から多くの宝物をいただいてきた僕にとって、やっとささやかではありますが、恩返しができたのではないかと感慨もひとしおです。

 皆さんに購入、または、街や大学の図書館などでリクエストなどしていただけたなら、僕たちの学びを通じた平和運動をはじめとし、沖縄における平和運動などに対する、大きな励ましならびに、運動の原動力となると思います。

 こちら勝手なお願いで誠に恐縮ですが、最新刊『沖縄平和学習論』を、どうぞよろしくお願いいたします。


『沖縄平和学習論―教えることを手がかりにして―』
柳下 換 著
榕樹書林、2014年4月18日

 戦後も70年にあと1年、沖縄の教育現場での平和教育の行き詰まりが指摘されるようになったのはいつ頃からであったろうか。時代は閉塞感にあふれ、戦争の賛美や軍備強化論が幅をきかす様になり、平和とは何かが強く問われる状況である。
 本書は今日の沖縄をつくり出した根源である薩摩による琉球支配の実像を解き明かそうとする著者と、市民との共同作業を通して平和とは何かを追求し、「学ぶ」ことの意味を、国家や公権力から自立した活動のなかから追い求めた新しい提案の書である。

【目次】

序章
第1章 自己紹介
第2章 教えることとは、どういった意味なのか
第3章 「教える」「学ぶ」の関係性について
第4章 「何を教えるのか?」、「なぜ、『平和』を教えるのか?」
第5章 科学的な思考
第6章 授業書『薩摩侵入後(近世琉球)の琉球において石高制は機能したのか』
第7章 「平和」について学ぶために、「沖縄」を学習リソースとした意味は?
第8章 沖縄に関する気になることは?
第9章 「暴力」とは何か?
第10章 授業書案の検討
第11章 模擬授業 まとめ

まとめにかえて
沖縄をリソースとした平和学習をつくり、授業を行うことの意味

■A5、232頁
■定価(本体2,800円+税)
■ISBN 978-4-89805-173-3 C0037
http://bookjungle.ti-da.net/e6115399.html


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さぁ、新学期

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新学期が始まりました。
本年度も、また、多くの若者たちと出会わせていただいております。
こうした機会が、毎年毎年、与えられることをこころから感謝しています。
僕にとっては、まさに生きる原動力をもらっているたいへん大事な時空間です。
そんな大事な機会なのにもかかわらず、直ぐに肝心なことを忘れてしまう自分がいます。
こうした健忘症はどうにかならないものでしょうか…。

先日あった初回の1つの授業でも、いつも授業に臨むにあたり、
僕の考え方のグランドセオリーとなるものを、少し解説するようにしているのですが…。
僕の中では、当たり前となっている思索の契機となった哲学者や思想家たち、
彼らのことを、多くの若者たちが知らなかったりすると、
思わず、大学生になったいじょうはせめて、これらの人の著作を、
一度は読まなくちゃダメですよ、なんて口走ったりしてしまいました。

僕が、20歳前後の頃は、こうした人たちの著作をまじめに読んだためしがなかったのに…。
そんなことを棚に上げ、さも当然なごとく説教をしてしまう。
情けない大人になったものです。
まず、はっきりしていることは、そんな哲学者たちが問題としたようなこと、
若者たちの多くは、自分の問題として悩み考えているのが実際であるということ。
そして、むしろ問題なのは、教える方の側が、そんな若者たちときちんと、
対話をしてきてないことなのに…。
ゆえに、同じような悩みや問題をテーマとして思惟重ねてきた、
先人たちの存在に興味を持つ機会がなかっただけなのです。

何のために僕がいるのか、道先案内人として、そんな若者たちと、
対話を繰り返すなか、先人たちの考えや実践に興味を持ってもらい、
世界、いや宇宙に在る大事なものの存在を共に気づくことの楽しさを知ってもらう、
にもかかわらず、僕に与えられた大事なミッションを直ぐに忘れ、
大学生なんだから当たり前だろ的な、上から目線の物言い、
まったくもって、いつまで経っても覚りを開いた者になるにはほど遠いのです。
まさに、初心忘るべからずで、僕とて一学習者であり、対話を通じ、
若者たちと共に、〈教える-学ぶ〉という実践を積み重ねていかなければならない、
存在であることを肝に銘ずる新年度初頭です。

健忘症と言えば、最近、特に気になっていることの1つが、集団的自衛権の話です。
長くなってしまうので、いわゆる推進派の人たちの主張で気になる点を、
2つだけを指摘をさせてもらいます。

1つは、彼らの多くが、集団的自衛権を必要とする理由として、
東アジア地域の環境の変化によって、言うことを聞かない国がある以上、
より一層強力にした軍事的な力(同盟国などとの協力関係強化等)で、
仮想敵国の暴走を抑止していかなくてはならないというものです。
この考え方には、相当な疑問を持たらざるをえません。
というのは、結局、仮想敵と相応、もしくはそれ以上の力を誇示することで、
相手の闘う意志を挫こうとするものであるいじょう、最終目標は、
国家の重武装化、すなわち核武装につながることが容易に想像できるからです。
おそらく、原発の再稼働・維持もここらへんと関係があるのかもしれません。

そして、もう1つは、制限つきで行使をするという主張です。
確かに、先日指摘をしたように、同盟規定となる安保条約においては、
自動的に同盟国に手を貸すとは書いてはおらず、お互いの国の法律に則り、
加勢を決めるとなっているわけですから、日本の場合は、憲法がある限りは、
そうは簡単には集団的自衛権は行使できないことを、米国だってよく知っているはずです。
逆に言えば、制限つきであろうが、無かろうが、行使をしたら歯止めがきかない、
ということを、同盟国である米国もよく理解しているがゆえに、
安保条約できちんと縛りをかけているわけです。

で、そもそも、この2つの懸念、というか、こうした判断の結末が、
最悪なケースを導くということを、日本は既に経験しているはずです。
歯止めなき、軍事力強化、拡大侵攻を引き起こし、結果の破滅…。
原発再稼働による安全神話の復活もそうですが、日本の統治権力側にいる方々、
お願いですから、過去の失敗に学ぶというか、思い出していただきたいものです。

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市民ゼミナール2014-下

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【第3回】「イジメを考える-Ⅱ」-暴力解体手法-
まずは、暴力とは何かということで、その概念の出自元である欧米にある定義を再確認しました。ただ、暴力という概念が注目を浴びるようになったのは、近現代以降で、特に、2回の世界大戦以降、人類にとっての重要なキイワードとして浮上してきたのです。そうした流れの中、暴力という言葉の定義を戦後、再定義した人がいます。それが、ユダヤ系ドイツ人の哲学者であるハンナ・アレントです。日本語に訳してしまうと暴力という言葉に相当してしまうものは、例えば、ドイツ語においてはいくつかあって、そうした言葉を1つ1つ丁寧にアレントは確認しました。今回のゼミで注目をしたそんなドイツ語は、KraftとMachtとGewaltでした。中でも、今回のテーマと密接な関係にあると思われたのは、MachtとGewaltです。彼女の定義によれば、Machtは集団に属す力で、別の言い方をすれば、「権力」という言い方になり、Gewaltは、道具と共に行使される力で、簡単な言い方をすれば、そうした道具を使おうとする意思の源としての「原動力」ということになります。

このような欧米形而上学出自の概念である暴力というものを抑止したり、解体する方法を思索した人の一人に、2つの世界大戦の頃を生きた、やはりユダヤ系のドイツ人哲学者にヴァルター・ベンヤミンという人がいます。彼はドイツ革命直後のドイツを背景として、1921年に「暴力批判論」という論考を発表します。政治の季節であったドイツにおいて、暴力に関して検討したこの論考は、ドイツ語題では、「Zur Kritik der Gewalt」となっており、その思索の対象はMachtではなく、Gewaltが中心となっています。ただ、この論考の成り立ち等から考え、検討の範囲が最初からGewaltであったのか、それとも思索の結果、Gewaltになったのかは定かではありません。ともかく、この論考の中でベンヤミンは、暴力を神話的暴力と神的暴力という2つの暴力に分けています。特に、当論での検討の中心は、神話的暴力を言い換えた法的暴力で、当面の私たちの目標は、国民国家内における法的暴力の廃絶であると主張します。そして、その方法は、体制側が行使してくる法的暴力に対して、市民が権利として持つ法的暴力の行使により、対抗的な抑止力で暴力を無力化することだとします。しかしながら、ベンヤミンはそうした神話的暴力に対して、その存在を根拠づけているもう1つの対抗的な暴力の存在に気づきます。それが、その性格から、純粋な暴力とも言われる神的暴力です。言い換えると本性の暴力ともいえるこの暴力をどう扱うか、また、この暴力自体が、現前の形而上学上のものであることから、その解体方法については、形而上学的概念である暴力の中に存在する不確実性を暗示したところまでで、思索を開いたまま当論を終えています。こうした論考に対して、鋭く応答したのがデリダというフランスの哲学者なのですが、今回はこの後の暴力解体手法の中で、彼が提案した脱構築という手法について簡単に説明しました。

ベンヤミンの主張を援用すれば、日本の学校社会における対処法は明確です。1つは、市民の側が持つ法的暴力権を行使するということです。つまり、法的な対処を実行するということで、警察に訴えたり裁判権を行使したりすることです。そしてもう1つは、国民として当然、持っている生存権・社会権を行使し生命が脅かされる場所には近づかない。ようは避難するということです。そのために、侵害されるであろうその他の権利は、違う形で保証されるのは当たり前です。

しかしながら、こうした暴力の無力化は、暴力に対する暴力の抑止による暴力の無力化でしかなく、例えば、イジメを起こす原動力としての暴力そのものを解体しているわけではないのです。その対策の視点というか、ヒントとしてベンヤミンは、いくつかの言葉を残しています。1つは、「神的暴力は、あらゆる生に対する、生ある者のための、純粋な暴力である。」と言い、もう1つは、「神的暴力は、摂理の暴力と呼べるかもしれない。」などです。この2つの言葉は、神的暴力が持つであろう性格を的確に表現しています。つまり、本来、暴力という概念は、人間が作り出してしまったものであるから、その対処法は、同一言語ゲーム内のコードに則って行うしかないのですが、そもそもの本性的暴力なるものが、その言語ゲームの外に在るのだとしたら、暴力そのものの概念というか意味を読み替えることが可能なのではないのかという指摘なわけです。つまり、人間が作り出した暴力概念には、暴力という力が含む概念化不可能な力が含まれているということなのです。この指摘は、後に、デリダをたいへん刺激するわけです。デリダ的な立場から言うと、暴力は脱構築可能であるということになるのです。

脱構築とは、ある概念の中に含まれているその概念の不確定性(不確実性)を曝き、自明であったはずの階層秩序を転倒する行為です。暴力に関して言えば、暴力という観念を破壊する行為として見るのではなく、生み出すもの、つまり、生命一般を創造する力と読み替え続けることを言うわけです。この可能性と不可能性の間にある差異をずらし続けることをデリダは差異の差延と言い、ずらし続ける実践のことを代補の運動と言います。ただ、この方法で知っておかなくてはいけないことは、これも原則として形而上学上の行為であり、1つの言語ゲーム内における行為であるということです。ただ、こうした試みは、結果として、生活世界の外にあり、例えば、宇宙全体として共通して存在しているであろう真の他者に気づくことに繋がる可能性を秘めています。このことは、人類のみならず、宇宙に在る生命体において、最優先すべき一番大事なものは何であるのかということの気づきであり、それを人類などが共通了解したとき、まさに破壊としての暴力の存在が解体されるわけです。

そこで、仮に脱構築的な手法を暴力の解体に応用したとします。より具体的に考えるために、彼が言うところの脱構築の実際の試みである代補の運動を、例えば平和運動に重ねてみましょう。平和運動は何かという検討も必要にはなりますが、ここではとりあえず、暴力解体を目指す代補的な運動の1つであるとします。そうやって、考えてみると、現代社会はなかなか興味深いです。運動としての段階というか、状況状況による平和運動の目的がはっきりします。
ヨーロッパの場合は、その目的は、体制側が行使してくる法的暴力に対抗しうる絶対的な法を制定することが目標となります。多分にカント的な目標となるわけですが、カントの構想が未だ実現していないところをみると、この闘いはまだまだ続きそうです。そんな欧米に対して、日本の場合は、国家としては欧米諸国が運動の目標とするであろう絶対的な法は既に憲法第9条をとして実現しています。このことによって、運動の目標は、その法の遵守ならびに保障ということになります。したがって、日本国内における平和運動が、「憲法をちゃんと守れ!」と主張することは運動として正統的なことです。ただし、ここで気づいておかなくてはいけないことは、欧米の平和運動の目標であれ、日本の平和運動の目標であれ、それらが法的暴力内における暴力の無力化であるかぎりは、暴力そのものの解体ではないということです。その先まで行くにはどうしたらよいのか…。

そのヒントが沖縄にありました。今回のゼミでも、時間がなくなりその詳しい理由・説明をするところまでは至りませんでしたが、先回りして概要だけを簡単に言うと、国家に属していなかった復帰前の沖縄における平和運動の1つである伊江島の阿波根昌鴻さんたちの運動であれ、復帰後の平和運動の1つであり、それも最近の平和運動である辺野古の運動であれ(今回のフィールドワークで明らかになったが)、彼らが運動の最終目的を「いのち(生命)を守る」としている点です。国家に属していなかった当時の沖縄の農民たちが、結果として自分たちの闘いの目的が、いのちを守ることにあると気づき、同様に、辺野古で闘っている人たちが、憲法遵守や環境保全等の目的を経て、やはり、いのちを守ることが目的であるとした点。こうした点が、僕としてはとても重要だと思っているのです。彼らは、なぜ、結果として、生活世界の外に在る真の他者の存在に気づくことになったのか?彼らの運動に共通して言えることの1つは、〈教える-学ぶ〉としての「対話」がその運動(実践)の中心にあったということです。それらの実際から、「彼らは運動手法の1つとして、なぜ、他者との対話を自然に取り込んでいるのか?」、「そうした身体性こそ、沖縄の基層文化など(祭祀儀礼の時の神歌・歌謡など)によって培われた精神性なのではないのか?」などという新たな検討点が広がることを指摘しつつ、今回のゼミを閉じました。

今回のゼミ全体として、「おもしろかった」、「興味あります」というお声をたくさんいただきました。たいへん、ありがたいことです。同時に、ゼミを開催し大事だったことは、こうしたテーマで皆さんと対話をしたということです。それも連続で、つまり、こうした実践そのものが、運動であり、そのただ中であるということです。そして、これはまた、僕たちなりの平和運動でもあるということです。おそらく、今年の後半も様々な形でゼミをやると思います。ぜひ、皆さん、お気軽にご参加ください。特に、今回の鎌倉・那覇でのゼミナール、沖縄でのフィールドワーク、多くの方々のご協力、ご支援により実現することができました。この場を借り、こころからお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

(photo by ばたこん)
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