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自分のことは自分で決める

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 沖縄に通うようになって、沖縄に来るとよく空を見るようになった。理由の1つには、沖縄の空はすごく表情がある。色や雲や風など、ヤマトでは見たことのないドラマチックな変化を目の当たりにすることができるので、見ててまったく飽きることがない。一番の見方は、畳の部屋に寝転がり仰向けになったまま、空を眺める体勢が好きだ。
 そして、もう1つの理由は、飛行機がよく飛ぶ、それも低空で…。爆音がする度に空を見上げると、どう見ても旅客機や報道などのタイプとは違った飛行機類が飛びかっている。当然のように、その種類の大部分が土地柄、軍用機それも米軍機であることは想像がついた。好奇心から、そんな飛行機やヘリコプターを見る機会がある度にどんな機種なのかとなんとはなしに調べ確認するようになった。すると、いろいろなこと分かってきた。短距離しか飛べないヘリコプターなどの場合は、それが訓練で、どんなことを目的としているのか、そのヘリコプターの機種が分かると想像がつく。一方で、長距離を飛べる中型以上のジェット機系が飛び交うようになると、日本の周辺をはじめとする外国で何かが起きていることが推察された。限定というか特定できるものもある。例えば、嘉手納基地に所属している情報収集系、それも大気中の放射線物質を調査する器材を搭載している機体が飛んでいるときは、近隣の国で核実験が行われたのではないかと予想がつくのである。そんな経験から、沖縄の空は美しく神々しい世界そのものなのに、その世界の足下は沖縄の空ではなく、何か薄い膜が張られているような寂しさを感じる。

 さて、そんな経験をしつつ、神奈川に帰る。沖縄で空を眺める習慣のついた僕は、神奈川に戻ってからも空を眺めるようになった。それまでは、神奈川の空はずーっと遠くにあって、雲も色も遠くかすれているように僕の目には映っていたし、空を飛ぶ飛行機などは、空と地上の境を飛ぶジェットストリームの世界で、飛行機雲は見えても何の機種だかは検討もつかない存在だった。そして、ヘリコプターの場合は、住んでいる場所が海岸に近い関係で、海難救助に向かう海上保安庁のものばかりに違いないと思い込んでいた。でも、爆音がすると空を眺める癖のついた僕は、神奈川でもその度に空を見る。すると、想像以上に頻繁に、それも低空で飛行機やヘリコプターが飛んでいることに気づくようになる。そして、その多くが、沖縄の空で見たものと同様のものであった…、知らなかったし気づかなかった。遅らばせながら、ちょっと調べた。神奈川の空は、日本の空ではなかった。その空は、その大部分が米軍の空だったのだ(横田ラプコン)。うかつにもほどがある。沖縄にある問題は、神奈川の問題でもあったのだ。さらに言えば、日本全体の問題だったのだ。神奈川の空を見ていても、そこを飛び交う米軍の飛行機やヘリコプターから、世界の情勢をはじめいろいろなことが分かる。

 そんな話をすると、若い人たちから、それの何が問題なんですかと突っ込まれる。既に多くの人が、見えない占領状態を国の安全保障におけるギブアンドテークの関係から自明なものだと思い込まされている。不平等であることが気にならなくさせられている。問題、問題の本質は…。確かに、軍用機による事故の発生、これらも当然大きい。沖縄でも神奈川でも起きている。すると、飛行機の事故は、軍用機でなくても起きると反論がある。この問題に関してだけ具体的に問題を指摘すれば、1つとして軍用機の事故はその原因等を含め、情報は軍の機密により全てが公開されるわけではない。それが、兵器の弱点とかであれば当然のことだ。そして、特に在日米軍に限って言えば、日本の空のルール、例えば航空法に従う必要はないということだ。そのことの1例としては、沖縄でも神奈川でも、米軍の航空機・ヘリコプター等が市街地であっても、思った以上に低い高度を飛んでいる。
 そんな見える問題もさることながら、忘れてはいけない大きな問題は、僕たちの主権が侵害されていることだと思う。「主権の侵害!? それがどうした、今だって俺たちは、不自由なくふつうに暮らしているぜ、主権が侵害されていようがいまいが俺たちには関係ない…。」。それで、本当にいいんだろうか…。僕たちの自由や基本的人権や社会権などがないがしろにされている。残念ながら、こうした意識的傾向は、在日米軍の在り様にも無関心であるのと同様に、日本の様々な問題に波及している。「独立と自由ほど尊いものはない。」と言って、ベトナムのホーチミンたちはアメリカと戦った。そのアメリカだって、独立と自由をかけて戦った経験を持つ。独立と自由によって、その国の国民の主権は守られる。つまり自律的で自由な存在としての人となることができるわけである。自律的で自由な存在とは、生命(イノチ)一般の担い手として承認されるということだ。大げさな言い方かもしれないが、生きることの意味がそこにある。

 だとすれば、今の日本には、そういう意味の独立も自由もない。つまり、人が人として存在するための意識というか精神を欠いたまま、ただなんとなく存在している人々の群れがあるだけの状態のように見える。自分のことは自分で決める。要はとてもシンプルな意識だと思う。今の日本は、自分のことを自分では決められない(決められないようにされている。)人々の集団となってしまっている。独立と自由を取り戻そう。言い方を換えれば、「自己決定権」を取り戻そうということだ。その点に関して言えば、沖縄の人々は、そのことにとうの昔に気づいている。空を眺めることは、独立と自由への道に繋がっているのかもしれない。

 どうにも生き辛くなったときは、深呼吸をしながら、空を眺めよう。
 希望に繋がる見えない道が観えるかもしれない…。

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ゴジラはなぜ日本に

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 ゴジラはいつも、なぜ、日本に来るのか…。不思議なので、少し考えてみました。

 まず、直ぐに思い浮かんだことは、元々は鰻なんじゃ…。今回のゴジラを見ても、最初、大人になる前のゴジラは、鰻のような顔つきだと思いました。南方のどこかで生まれた鰻が、日本の河に戻ってくるように、世代が変わる度に日本へと戻ってくる。

 次に考えたのが、好物がある。で、何が好物なのか…。それが主食というわけにはいかないとは思いますが、放射性物質、イメージ的には、それが天然物というよりは、廃棄物といいますか、使った後に出る系のやつですね。これがあるところをゴジラは本能的に目指す。

 これだけの要素で物語を組み立てると、元々、日本周辺を生活圏としていた鰻が、回遊し南方海域で卵を産み孵化するという過程において、卵の段階か稚魚の段階かは不明ですが、核実験の影響を受け突然変異し、成長するにつれ、大人になるために必要な高エネルギー源である放射性廃棄物のある所に回帰する。この物語は、今回のゴジラにとってはそれなりに説得力があります。
 それは、どういうことかというと、フクイチの事故により、北関東全域に降り注いだ放射性物質は、その後、その多くが風雨によって河川へと運ばれ、一部はその河口流域である東京湾に堆積、また、一部は太平洋へと流れ出たことでしょう。
 そうです、鰻が故郷の河川を目指すよう、自分の故郷の水の匂いというか、組成をかぎつけ遡ってくるように、ゴジラも長く帯のように繋がる放射性物質の流れのより上流を目指し戻ってきたことになるのではないでしょうか…。そうした意味では、まったくもって、3.11後の日本の人々にとっての警告ということになります。おそらく、北関東や東京の汚染は一様に残り、東京湾等に点在するであろうホットスポットでは、高濃度の汚染が定着しつつあることでしょう。これといった落としどころのないリアルな話です。

 この話は、もう1つ裏の話にも関係しているかもしれません。それは、アメリカとの関係です。今回の映画でも出てきましたが、アメリカというか米軍は、日本に世界のためとはいうものの、3度核爆弾を落とすことを躊躇しません。その意味は、アクチュアルな話です。ゴジラ誕生の契機ともなった、南洋諸島での核実験に際し、アメリカは、季節風の関係では、日本にも多くの放射性ブルームが到達することを予想していました。そうした放射性物質が、人間にどのような影響を及ぼすのか、広島・長崎の調査分析から、核爆弾爆発後の放射性ブルームの影響、特に内部被曝の影響は無視できないことに感づいていたアメリカ(米軍)は、日本の各地にモニタリング施設を作り放射線濃度等を観測します。はからずもそうした施設がフクイチの事故のときには役に立ち、事故後いち早く米国関係者は、80㎞待避を実施したわけです。つまり、日本は今でも占領地というか、軍事的戦略の実験地であり、その扱いが変わったわけではないということです。この関連では、いろいろと言いたくなる場面は多々ありましたね~、石原某が演じていた米軍高級将校(大統領特使)?、まさにSOFAステータス!!! こうした意味では、ゴジラは占領下の日本を思い出させ、自主独立を促す革命児なのかもしれません。
 
 では、次に象徴的な意味で、ゴジラが日本に来る意味を世界観的に考えてみたいと思います。何年毎というか、季節毎に日本にやって来るゴジラはまるで台風のようですね。地震保険ならず怪獣保険っていうのが、日本には必要な感じではあります。そんな度々のゴジラの来襲を見ていると、直ぐに思い出すのは、ベンヤミンのことです。特に、彼が書いた「暴力批判論」は、ゴジラ論として読み替えることが可能なのではないかと思わせます。おそらく、ゴジラは、当著に出てくる神的暴力だと思われるからです。もし、ベンヤミンがゴジラの存在を知っていたら、神的暴力の解説の1つとしてゴジラの来襲を上げたことでしょう。ゴジラの存在を知らなかった彼は、神的暴力の規範的例として、コラの一党に対する神の裁き上げます。彼によれば、神的暴力とは、コラの一党に対する神の報復そのものだと言うのです。一瞬にして全てを焼き尽くす紅蓮の炎のような報復、それこそが神的暴力そのもだと…。やはり、ゴジラが口から放射熱線を吐くとき、日本の人々よ目を覚ませと活を入れられるように感じるのは私だけでしょうか…。ともかく、ゴジラの来襲は、ベンヤミンが言うところの自然の摂理による神的暴力だとすると、彼のいう神的暴力の特徴とゴジラの所作による特徴というか意味が重なります。

 「暴力批判論」にある神的暴力の特徴を上げると、「あらゆる領域において神話には神が対立するように、神話的暴力には神的暴力が対立する。しかもこの対立は、神的暴力を、あらゆる点において神話的暴力に対するものとして特徴づける。神話的暴力が法措定的であるのに対して、神的暴力は法破壊的であり、神話的暴力が境界を措定するのに対して、神的暴力は限りなく破壊し、神話的暴力が罪を負わせると同時に贖罪を負わせるものであるのに対して、神的暴力は罪を浄めるものであり、神話的暴力が脅かすものであるのに対して、神的暴力は有無を言わせぬものであり、神話的暴力が血なまぐさいものであるのに対して、神的暴力は無血的に致死的なものである。」(ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論」『ドイツ悲劇の根源 下』浅井健二郎訳、筑摩書房、1999年、270頁)と書かれています。文中に出てくる神的暴力に対立するもう1つの暴力である神話的暴力とは、法的暴力のことを指し、私たちの日常、すなわち、国民国家内における世界は法的暴力の圏内ということになります。神話的暴力を簡単に言えば、後から人間の手によって作り出されたり規定された暴力ということになります。それに対して神的暴力は、どこから来て何が目的で行使されるのか、人間の思考の中では想像できない、まさに人間の想定外の力ということになります。映画の中でもゴジラの存在は、人間社会における法的暴力、すなわち法規定では一切を規定することができないものとなっています。そして、人間が自分たちのために作り上げた法的暴力の世界(国境とか)にゴジラはいとも簡単に侵入し、法的暴力(憲法をはじめとする法律とか)を無力化していきました。映画は最初から最後まで、神話的暴力の行使者である国家と神的暴力の主体であるゴジラとの闘いが、様々の領域において繰り広げられていたわけです。

 ベンヤミンはさらに言います「神話的な暴力は、たんなる生に対する、暴力それ自体のための、血の暴力であり、神的な暴力は、あらゆる生に対する、生ある者のための、純粋な暴力である。神話的暴力は犠牲を要求し、神的暴力は犠牲を受け入れる。」(同上、271頁)「たんなる生」とは、生きる死ぬというとき、多くの人間が直ぐに思い浮かべるであろう、一代一代の生命を指します。それに対して、「あらゆる生」とは、地球というか宇宙において生命(いのち)が誕生してから、今まで、ただの一度も途絶えることなく続いてきた生命(いのち)一般を指すものです。映画で言えば、より強力な軍事兵器を行使して、今だけを生きている自分たちの生命を守ろうとする行為それ自体が神話的暴力と言えます。一方で、自己の生命を神話的暴力の行使者たちに差し出すことによって、彼らがしがみつき正当化してきた掟が、何ら根拠のないものであることに気づかせると同時に、内省させ自分たちの存在とは生命一般の根拠によって保障されているのを理解させることで、彼らの罪を浄めようする…。やはり、ゴジラは神的暴力の主体であることがこのことからも明らかになるわけです。映画の最後の場面において動かぬゴジラと人間たちのやりとりは、価値観が転倒してしまった近現代社会のあり様を元に戻すための代補的運動となるのです。そして、この代補的な運動は、劇中において繰り返されるゴジラのテーマ、おそらくその込められた隠喩的な意味の繰り返しと共に差延されていくのです。

 「天災は忘れた頃に来る」、地震学者であった寺田寅彦さんが言ったといわれているこの言葉は深いです。天災、すなわち神的な暴力の1つであると思われます。おそらく、人間が驕り高ぶり生命一般の根拠をないがしろにし続けると、人間世界は、宇宙(自然)の摂理によって生かされているという正統的なあり様に、神的暴力の発動によって自動的に引き戻されるということを意味しているのです。特に、日本という国は、そうした摂理の繰り返しであると言えるでしょう。つまり、日本の社会が物質的欲望などばかりを優先し、人としての存在の意味を見失い続けると神的暴力が自動的に発動され、私たちの頭に鉄槌が下されるのです。実は、昔から日本の人は、そのことをよく知っていたと思われます。ときに、「地震、雷、火事、親父(大嵐・台風のことです)」と言われます。これは、四大神的暴力か…、なんて思ったりします。ということで、今年、ゴジラが戻ってきたのは、1つの警告であると気づいてほしいものです。

 要注意!!!「ゴジラは忘れた頃にやって来る」。

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空のむこう

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 最近、若者たちに「自明性を疑え」といいつつ、僕たちは何を目指すべきなのかと、今さらながらよく考えます。

 これまた今さらながらだけど、マルクス先生などを読み返すと、今の日本の状況は先生の言ったこととその多くが重なります。例えば、資本主義社会が経済的な発展を目指し続けると、社会的な格差や人々の精神的疎外が大きくなる等…。結果として、これまた社会はこうした状況を止揚すべく、ある意味で自動的に変革というか、否応なしに社会の構造が変化せざるを得ないという。先生の言うところのより一層社会化された社会とは、生きるための平等とか自由が保証された社会…。こうした社会のことを、後の人々が言ったような、社会主義的な社会というのかもしれません。

 彼のこの展望のミソは、より一層の効率的な経済発展を目指した資本主義政策を推し進めるなら、自動的にこうした社会構造に変化せざるを得ないとしているところです。でも、こうしたある意味で平等で自由な社会は、一部の既得権益や独占的資本を持っている人たちにしてみれば、自分たちの持つ権利や資本を手放し再分配を強制するものとなります。したがって、そうした一部の人たちは、たぶん資本主義経済がより一層発展し市民にとって平等な社会になることを拒むに違いありません。その拒否の仕方とは、おそらく高度な資本主義的な発展がある一定の段階まで到達したら、一度リセットさせ、それ以上は発展させないというやり方となるでしょう。

 いわゆる資本主義発展の両輪が、「新市場の開拓」と「技術革新」にあるのだとしたら、発展を停滞もしくは部分的に差し戻し、偽装的な発展状況を再び作りだすためには、飽和した市場の再編成ならびに、日常生活では直ぐには必要ないけれど、いかにも市場における優位性を誇れるような特殊な分野の技術革新を促すことになるでしょう。つまり、より一層の社会化された社会への流れを阻止するためには、おそらく、定期的に戦争を起こすことが必須となるような気がします。権益や資本を持つ一部の権力者たちは、既に本人の自覚がないままの自動操縦かもしれませんが、彼らは使い勝手のよい形に構築された教育とかメディアだとかという社会システムを利用し、来たるべくリセットをするための戦争準備を怠っていないということになるのかもしれません。言い換えれば、戦争を起こすことの正当性を担保するための準備を着々と進めている、と言ってもいいのかもしれません。いざ戦争になったとき、国民の多くがそれではしかたがないと、戦争をすることに理解をしめすような状況を作るということです。

 そんなことを考えていると、自明性を疑ったうえで、僕たちは当面、何をすべきかと想いを巡らせば、とにかく戦争に繋がるような流れは、どのようなことであれ阻止をするという一点につきるのではないかと強く感じているこの頃です。

 内容が古くなってしまいましたが、以前書いた教育にまつわる「多様性」について考えた論考です。興味のある方はどうぞお読みください。

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発展幻想

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 世界経済の成長への懸念などを理由にして、日本の株安などが語られているのを読んで考えたことをメモしておきます。

 〈さらなる資本主義的経済発展を望むにしても〉
 道はそれだけではないとは思いますが、百歩譲って、資本主義下におけるさらなる経済的な発展を望むのであれば、その原動力となる「新市場開拓」と「技術革新」は、外すことのできない必須条件であるのは誰もが知っています。でも、世界を覆い尽くした現在の資本主義社会では、新たな市場や技術革新を継続的に確保をすることは難しく、そのための準備も難儀です。ゆえに、安直な方法として、戦争などによるリセットを人類は繰り返してきたわけなのですが…。

〈安直なリセット方法〉
 何度か紹介したように、近代以降の欧米的世界は、「バブル→恐慌→戦争」という周期を懲りることなく続けてきました。つまり、現在の構造のままほっぽっておけば、世界は株安だろうが何であろうが経済的なマイナス要因が自動的に発生し、不況へと再突入した結果、何らかの強引な力によって市場などがリセットされてしまうであろうことは、当然の成り行きとして予想されるわけです。戦争等によるリセットが嫌であれば、違う方法を考えなくてはいけないのですが、残念なことに、未だオルタナティブな方法は実行されていません。そうした世界の動向の中にあって、日本もデフレ型の不況へと突入していったわけです。だから、資本主義社会、特に経済の行き詰まりによって不況になるというのは、世界のトレンドであって日本だけの特徴と言うわけでもないのです。

 〈せめて日本だけでも…〉
 で、とりあえず、せめて日本だけでも不況から脱しようと思えば、資本主義発展の大原則である「新市場開拓」と「技術革新」を他国に先駆けて確保するしかありません。例えば、日本の不況がデフレ型なのであれば、発展のためにやるべきことは、新規産業による内需の拡大であるとか、技術革新を起こせるような人材の育成だとかです。もし、そうしたことが、実際の施策として実施されないのだとしたら、日本の特に経済は、ドンドンじり貧となっていくのは当然の帰結です。
 ここ数年の現政権は、さらなる発展と言っているわりには、不況から脱し発展させるための原則的な政策を実施することはできず、むしろ真逆な方向の古典的な方法をリピートしただけでした。これでは、日本の経済的な状況がより悪化するのは当たり前です。使い古された方法を何の工夫や展望もなく場当たり的に繰り返している様を見ると、無知ゆえにと言うよりは、分かってわざとやっているようにさえ見えてきます。結果としてのお決まりのパターンを引き出すための、デモンストレーションなのではないかと思えてしまいます。証拠に、現政権下において、特定秘密保護法、安保法制、武器三原則廃止等、戦争ができる国への衣替えの準備は着々と進み、今度はそのために憲法を変えることを目指すとまで公言しだしています。

 〈何のための教育的活動なのか〉
 経済発展のためなら、戦争もしょうがないと再び考えるのか、それとも、今までとは違う価値観による発展を目指そうと考えるのか、国というか人のあり様の根本が問われている時代だと思われます。ゆえに、僕が関わる教育の分野などでは、教育的な活動を行う大前提として、戦争による経済的発展をも辞さないという価値観を持つ人材の再育成を目的として行われるような教育的活動とは、たとえ国から金を出すからと言われたとしても、簡単には与することがないよう、私たちは何を大事にしていくべきなのか、絶えず注意深く見極めていくことを肝に銘じているわけなのです。 昨今、人間の欲望に絡めた誘惑があまりにも多いですけどね。

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教育的支援…。

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 〈近代教育が持つ機能〉
 現代の教育について考えるとき、忘れてはいけないことは、それは近代以降に発明された歴史的概念であるということです。ヨーロッパで発明された近代教育を、明治以降の日本は輸入しました。教育という歴史的概念が成立する以前の本来的な意味を持っていたであろう教育的な行為においては、今でいうところの権力と結びつくような政治的な意味は希薄であったと言えるでしょう。逆に言えば、その頃には、「教育」はなかったということになりますが。それが、市民革命を経た国民国家成立の過程やら、産業革命後の強力な資本主義社会化などのプロセスの中で、国家設立のため装置の1つとして、近代の教育は確立されていったのです。

 今や国家や政治と深い関係を持つようになった教育ですが、その特に、近代の教育が持つ機能を上げるとしたら、第1としては、「統合」という機能であり、第2として、「平等」という機能、そして,第3として「発達(成長)」という3つの機能を上げることができるでしょう。すると、近代の国民国家成立の過程において登場した近代教育は、当初は、こうした機能をまさに、基本的人権の確保等、近代民主主義の礎を築くためのシステムとして稼働させたのです。近代民主主義の確立期において、教育は民主主義的な価値観を広めると同時に定着させるという役割を大いに担ったと言えるでしょう。

 〈資本主義と教育〉
 一方で、近代化を成し遂げた国々が強化をし出したのが資本主義でした。貨幣の獲得を第一目標とした資本主義発展の柱は、改めて言うまでもありませんが、「市場の開拓」と「技術革新」でした。時代と共に変化をする社会構造から来る要請を受け、本来、人間が自然の一部として生きるための学ぶ行為が中心であったものが、その生への欲望はそのままに、生きるために貨幣を獲得することが第一の社会となり、国家による教育が主となった「学び」は、貨幣を獲得するのを支援することが中心となったのです。

 より一層の資本主義的な発展を目指した国々において、教育は、基本的人権や社会権など、民主主義という仕組みの礎を築くという役割から、資本主義的社会発展(「市場の開拓」や「技術革新」)に貢献する人材の育成ということに重点が置かれるようになります。こうした教育における役割の変遷については、日本の場合と欧米、特に、アメリカの場合とでは、少し詳しく見ていく必要があります。

 〈日本の近代教育〉
 ここでは、日本の教育について述べようと思っていますので、日本を中心にして少し考えてみましょう。日本の場合は、先にも書きましたように、明治維新となり、政府は、もう既に十分に国家のための人材育成へと目的を変えた西洋教育を輸入したわけなので、その教育には、直ちに「富国強兵」に貢献するような人材の育成という役割が与えられました。そこでは当然、近代教育が持つ3つの機能を発揮するようになるわけなのですが、その意味は、当初の欧米的教育が持つものとは違っていました。「統合」は、天皇を中心とした国家統合であり、「平等」は、臣民としてであり、「発達」は、軍事的な役割を担うことができる能力の養成でした。

 その後、日本の場合は、最終的には戦争に敗れ、教育を巡る環境は大きく変化をするわけなのですが、ここで少し先回りをして確認しておくとすれば、ここまでの話でも分かるように、特に、近代の教育は、それが持つ機能は機能として発揮をするのですが、その中身は、時代時代の背景によって大きく変化をしてしまうということです。戦前の日本であれば、「富国強兵」を支えるための教育でありましたし、戦後日本の場合は、終戦まもなくであれば、本来の近代民主主義、特に米国式の民主主義を啓蒙・定着させるという役割を担ったわけです。しかし、日本の場合は経験することのなかった、そうした本来の近代教育の役割を取り戻したかと思われたのも束の間、戦争によって停滞してしまった資本主義的な発展、言い換えれば、経済的な発展を取り戻すことを第1目的とする国作りが台頭するようになります。すると当然のこととして、教育の役割は、そうした社会作りに貢献する人材の育成が中心となるのです。ここでの教育の機能としての「統合」は、社会の資本主義化に伴う国民の精神性や国民国家意識などの分裂を抑制するためのものとなりましたし、「平等」は、自由な経済的競争を担保するための参加資格としてのものでしたし、「発達」とは、個々人の人間としての身体的・精神的な自律の過程を支援・保証するものではなく、貨幣を獲得するための思想(能力主義等)と手法(消費文化の担い手等)を身につけさせるものとなったのです。

 そして、昨今、1990年代半ば以降の日本では、頭打ちとなった資本主義的な発展をより一層の発展へと導くために、政府が採った政策は、資本主義的「自由」と「平等」の強化でした。新自由主義政策と言われたその政策によって保証された「自由」・「平等」・「発達」を教育的な視点から見ると、「自由」とは、貨幣を獲得するための「競争の自由」の保証であり、「平等」とは、「多様な選択肢」としての平等の保証でしたし、「発達」とは、能力主義的な社会観に対する適応力の高い身体と精神を養うことでした。したがって、当然の成り行きですが、国による教育政策は、新自由主義的な「自由」や「平等」という価値観を正当化し再生産するものとなったのです。このように、日本のみならず、資本主義的な思想が強化された社会では当たり前の流れとして、資本主義的な「自由」や「平等」や「発達(発展)」を保証するためのシステムとして教育は稼働します。

 このような現代日本における教育の背景を考慮すれば、今、教育の現場で起きている「イジメ」であるとか、「貧困格差」などというような問題が、こうした社会的構造から生み出されているということがよく分かります。そして、そもそも、資本主義的な社会の発展の原動力として、「格差」や「能力主義」というものが必要であるということです。ゆえに、現在の教育の多くが、自動的にこうした問題を拡大・再生産していると同時に、このような問題を生み出す社会観を正当化し定着させる装置として稼働しているというわけなのです。ということで、ここまでの話からも分かるように、そもそも、近代の教育という制度は、その機能としてこうした機能を持つものなので、やはり、その重要なことの1つは、「理念」や「思想」という点になると思います。

 簡単な言い方をすれば、どのような理念や目標のもとに、教育という装置を稼働させるのか、この点がとても大事になるわけです。しかしながら、そうした理念や思想は、既に立憲主義などによって創られている国民国家であるとするならば、国家や社会のあり様によって規定されてくるので、憲法等の存在の重要性は言うまでもないでしょう。そうなると、民主主義や立憲主義などの前提やあり様についても、一言、述べなくてはいけないのですが、今回はあまり広げません。どちらにしても、教育の問題を考えるとき、こうした点も無視することはできないということです。

 〈教育的支援に対する問い〉
 以上のように、近代教育における本質的な意味から現代の資本主義社会下における教育、特に、日本の教育を見たとき、資本主義社会を発展させるための原動力としての問題も発生させ(問題を生み出すこと自体が目的)、資本主義社会を肯定し発展させようとする人材の育成も実現できているという点を見れば、うまく稼働しているシステムの1つであると言えることでしょう。こうした視点から見たときの日本における教育的問題に対する対処法は、原則として再教育とすることで元のレールに戻し適応させるか、問題を抱える集団等を再編成し、抱え込み新市場として取り込むことなどが常套な方法となることでしょう。

 ここから先の話は、なかなか難しいので、今回は詳しくは述べませんが、現代日本社会において、教育的な支援であるとかを考えるとき、こうした社会構造上の流れに対して支援者たちは、どういった意識を持つのかが問われることを忘れてはならないということです。言い換えれば、「何を、一番大切にするのか?」という問いかけです。

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子どもの貧困と学習支援

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 はじめに
 今朝もテレビの日曜討論の中で、子どもの貧困について議論がされていた。一億総活躍担当の大臣は、子どもの貧困を解決する方策の1つとして、学習支援を強化するなどと主張していた。最近、子どもの貧困の問題が指摘されると、その1つの解決策として、貧困の連鎖を絶つという意味で、学習支援を強化しようと言う声はよく耳にする。確かに、子どもたちのために何らかの支援をすることは、ないよりはあった方がよいに決まってはいるが、私としては、その中身とかが気になる。例えば、政府関連の人たちが、口する学習支援と言う、「学習」とは何を指しているんだろうか、などという点についてである。そこで、学習支援なるものをからめつつ、子どもの貧困の問題について少し考えてみることにした。

「子どもの貧困の原因って?」
 まずは、今、日本で起きている子どもの貧困の問題は、何が一番、大きな問題なのかと考えてみる。これは、ふつうに多くの人が気づくとは思うが、今、日本で起きている子どもの貧困問題の原因は、個々人の問題なのだろうか。その多くの問題が個人の問題なのであれば、個人に対する対処的な方法でその大部分が解決するだろう。おそらく、そうではなく、今、日本で発生している子どもの貧困問題の大きな原因は、社会の構造上の問題であると思う。このことについては、多くの方が同意をしてくれるであろう。だとすれば、今、日本にあるこうした問題を生み出している構造上の問題とは何であろうか。それは、ここでは、多くのことを話さないが、もう既に、たくさんの哲学者や思想家や社会学者などが言うように、特に、近代以降の資本主義という社会システムが生み出していることは明らかだ。したがって、子どもたちの貧困問題などを解決する有効な方法の1つは、資本主義的な社会の価値観を変革することだ。

「現代日本における貧困問題の背景」
 そうだとすれば、本来であると、近現代、中でも日本の戦後の資本主義という社会システムが作り上げてきた仕組みを詳しく検討する必要があるが、ここでは、そのポイントだけを紹介しておく。資本主義というシステムの要は、今も昔も、「市場開拓」と「技術革新」だ。しかしながら、十分に資本主義的な発展をしてしまった国々にとって、市場は有限なものであるし、技術革新が進めば効率はよくなるかもしれないが利潤率は低下する。限界がある中で資本主義的な発展を永く望むのであれば、一定のサイクルで市場区分のリセットや飛躍的な技術革新を行うしかなく、世界の資本主義をリードしてきたと思われる欧米の国々は、戦争という名のリセット行為を繰り返し偽装的な発展を維持してきた。
 一方で戦後の日本は、そうしたリセット行為には間接的に関与しつつ、国家そのものとしては、平和憲法の抑止力により経済的発展のみに専念することができた。結果として、日本は、敗戦国なのにもかかわらず、飛躍的な資本主義的経済発展を達成した。
 日本という国が、欧米諸国であれば資本主義的な発展を下支えしているはずの民主主義というシステムをどれだけ本質的に理解しているかは疑わしいが、ともかく、世界の中で、たぐいまれな資本主義的経済発展を遂げた国であることは間違いない。
 そこで、日本型の戦後資本主義の特徴を1つ上げるとしたら、それは、世界に類を見ない強力な消費文化社会の出現である。強度な消費文化社会を支える重要な要素は、本来であれば健全な市場の確保である。したがって、日本の資本主義は、新市場開拓と技術革新を強力に推進してきた。ある程度、日本が供給している特に、国内の市場が飽和状態となると、市場を細分化(個体化)することによって、新しい市場を作り出そうとしてきた。1990年代中盤以降、停滞気味の日本の資本主義をさらに発展させようと目論む政府は、新自由主義的な政策を打ち出し、現在に至っている。新自由主義的な政策の特徴は、資本主義的「自由」の強化と「自己責任」である。こうした政策の結果が、ある一定の層にのみ利益を集中(寡占)させることとなり、経済的格差等を拡大させている。

 以上のような戦後日本の資本主義システムの発展が、国民に与えている大きな影響の1つが、「個体化」ということになる。市場の細分化に伴う「個体化」という現象が、地域共同体の破壊であるとか、人の精神の分裂などを引き起こしてきたことはよく知られている。つまり、現代日本は、さらなる資本主義的経済発展を目指すのであれば、一方で、地域にある共同体性の破壊や個人の精神の分裂を促進してしまうという、ジレンマを抱えつつ一層の資本主義的発展を目論んでいることになる。ゆえに、分裂していく国家や国民の精神を再統合していくための施策をとらざるを得なくなっていることは、今さら指摘をするまでもないであろう。

「学習支援とは」
 このような背景の中で、子どもの貧困問題が発生し、イジメや不登校の問題が起きているのである。したがって、子どもの貧困問題が、もし、社会の構造的な問題なのだとしたら、前述したような現在の日本社会のあり様を無視することはできない。

 今、先に述べてきたような社会状況の中で、子どもの貧困問題が起きている。確かに、資本主義的な発展価値観だけの世界において、今後も生き抜いていくと考えるのだとしたら、せめて、その競争のためのスタートラインに平等に着かせることだけは保証しようとする考え方もあるであろう。この考え方を前提とするのであれば、一番有効な方法は、子どもたちが社会に出るまでの教育費等の経済的なコストを国が保証するという方法になる。例えば、使用目的を限定しない返済不要の給付型の奨学金などを充実させる等、という方法であるが、現在、そうした支援方法の強化という声はあまり聞くことはできず、聞こえてくるのは、前述したような学習支援などという施策である。

 では、政府などが声だかに主張している学習支援などとは、どういったものなのかと考えてみる。彼らが言う学習支援の前提となる考えは、いわゆる学歴をつけさせることによって、現資本主義社会では多くの貨幣を獲得することができ、貧困の連鎖は絶ち切れるはずだというものだ。つまり、現国家教育が提供している教育を受けさせることで、今後の資本主義社会における経済的な保証を担保させようとしている。戦後の国家教育のあり様を振り返ったとき、少々厳しい言い方をすれば、本来のその目的は「個人の人格の完成」を目指すものであったが、経済的高度成長を目論む政府や企業の要請から、いつしか、企業人として役に立つ人材の輩出とその目的が変質してしまったことは否定できない。簡単な言い方をすれば、現資本主義社会において、よりうまく適応し社会の経済的な発展に貢献する人材育成が目的となった。そうした教育の場に復帰というか、無事に参加をさせることが、支援であるとする。だとすれば、彼らが言う学習とは、学校というところで実施をされている教科学習であったり、学歴アップのための受験勉強を指しているであろうことは、容易に想像がつく。

 こうした教育の場への参加のための支援だけでは、もし、子どもたちの貧困の原因が社会的な構造にあるのだとしたら、貧困を生み出している社会システムへの参加を促進すると同時に、資本主義的な価値観を助長する競争へと駆り立て、そうした競争に勝つことを肯定するような意識を育成することだけに繋がる。そして、もとよりそうした社会構造の再構築に手を貸すことになる。つまり、これは、貧困の連鎖を絶ち切ることに繋がるのではなく、貧困を生み出す構造を再生産することになる。確かに、永続的な資本主義的経済発展の社会を目論む側から見たら、当然のあり様なのかもしれないが。

 終わりに-「学習支援」から「学び支援」へ
 では、子どもたちの貧困問題を少しでも解決するためには、例えば、学習支援というものの中身をどうすればよいのか。私が関係をしている「子ども・若者の居場所を考える研究会」での議論では、少なからず1つの結論は出ている。それは、実際の学習支援の現場では、当初の目的が,教科学習や受験学習の指導・支援であったとしても、その場所を子どもたちにとっての拠り所として機能させるためには、生活支援など含めた総合的な学びの場(居場所機能)にせざるを得ないということだ。こうした現場における実際の視点から考えた場合、政府などが提唱している資本主義社会における発展に寄与するような人材育成のための教育に参加させるのを目的とする、教科学習や受験学習を中心とした学習支援では、資本主義社会が構造的に生み出している貧困の連鎖を絶ち切ることはできない。したがって、当事者である子どもたちが、様々な生き方や価値観のあり様を安全に安心して学ぶことを支援するのが第一の目的とするような「学び支援」へと切り替えるべきだと考える。その結果として、生きる目標が見つかり、その夢の実現のために、いわゆる学校的学力や上級の学校への進学も必要となるのであれば、教科学習・受験指導なども行えばよいと思う。例えば、「宇宙」のことが知りたいという子には、「宇宙」のことについて共に学び、「社会」のことや「生命」のことについて考えてみたいという子には、共に社会の仕組みや生命の起源について学び、そうした学びの延長として、数学や物理や英語や理科のことを学習することを支援すればよいのである。そのためには、支援をする側の人材養成や、多様な学びをサポートするための人的リソースのネットワーク化なども必要となるであろうが、ともかく、彼らの生きる力を引き出すための「学び支援」こそ、貧困対策として最も必要な支援の1つであると主張したい。

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みんな当事者だよ

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 戦後日本における経済発展は、強力な消費文化社会を出現させました。消費文化社会を支えた仕組みが資本主義でした。その昔、既にマルクスが指摘をした通り、今も昔も資本主義社会の発展の原動力が、市場と技術革新であることに変わりはありません。戦後の日本は、新しい市場の開拓と技術革新を繰り返しながら、経済的な発展を繰り返してきたわけです。しかしながら、こうした資本主義社会発展の原動力を考えたとき、例えば、市場の拡大と言っても、未知の市場が無尽蔵にある時代はとうに終わり、今や、1つの市場の内部を細分化(個体化)することで新しい市場を作り出さなくてならない時代となりました。一方、技術革新とて、これまた、昔から言い古されているように、技術革新を進めるということは、合理化(効率化)が進むということで、当然のように、利潤率は低下をしていきます。

 さて、そんな時代へと入った日本は、さらなる資本主義的な発展を目論むのであれば、その発展の原動力となる要素が限界となっているという前提のもとに、発展の見通しを立てなくていけません。運良く、こうした限界をも超越しさらなる発展が実現できたとしても、これも既に周知となっていることですが、新市場開拓に伴う強力な個体化は、人々の精神を疎外させ分裂させます。また、技術革新が進めば進むほど、市場に受け入れられた技術を独占することによって収益を上げようとすればするほど、利潤率は低下をしていきます。ただ、こうした資本主義というシステムが持つ限界性のことは、もう既によく知られているだけに、近代以降の欧米を中心とした人類は、既にある市場や技術を一端破壊しリセットすることで、擬似的な発展を繰り返してきました。最近では、兵器等の破壊力が大きくなり過ぎた結果、地球そのものが滅亡するような大戦争を起こすことはできず、テロという名を借りた自作自演の破壊行為でお茶を濁すようになりました。
 
 ここ戦後の日本では、確かに、米国のリセット行為という戦争に間接的に関与することで、経済的な恩恵を受けてきましたが、平和憲法の抑止力により、新市場開拓や技術革新に専念できる環境が長い間維持されたことで、他国にはない飛躍的な発展を実現することができました。そうした側面では、ある意味で、欧米諸国にはない資本主義のステージに入った国なのかもしれません。しかしながら、現在、日本では、さらなる資本主義的な発展を目指して、欧米の後追い的に新自由主義的な政策を強化し、古びたセオリー通りの方法で、新市場の開拓と技術革新を推進しようとしています。ここから先の話は、いくつかの道に分かれることでしょう。分かりやすい1つの道は、今まで通りの方法であるリスタートのためのリセット戦争を起こす、もしくは、荷担することです。自らが起こさなくても、荷担をするという方向なら国民に対して誤魔化しがきくかもしれません。
 直ぐに、戦争をする(できる)という道については、そう簡単ではないと思われますので、政府は着々とその準備は準備として進めることでしょう。しかし、もう1つといいますか、その前段と言いますか、もう1つの道として、現在、政府は、先にも書いたような、旧来の方法、つまり新自由主義的な政策をとり、国内における市場の細分化(個体化)をさらに進め、規制緩和などによって技術革新を呼び起こそうなどとしています。現政権により最近叫ばれる「地方創世」とか、「一億総活躍」などというスローガンは、まさにこうした方向に呼応するものです。

 しかし、ここで思い起こしていただきたいことは、こうした方向性はもう既に、ある意味での限界に達していることを。特に、もし日本が、欧米にはない形で、強度に資本主義的な発展を実現した国だったとしたら、相当に先駆的な状況になっている可能性が高いと思われます。すると、そうした従来の資本主義的発展の方法を模倣するだけなのであれば、直ぐに、また限界にぶち当たることでしょう。このことを現政府は想定しているのかしていないのかは、僕には分かりませんが、素人の僕にも想像できることは、今、政府が声高に叫んでいる、例えば、「地方創世」にしても「総活躍」にしても、資金も様々なリソースも持っていない地方自治体や個人に、選択の自由と自己責任とにおいて資本主義社会の発展を一方的に任せられたとしても、成功するはずのないことはよく分かります。

 とここまで書いていて、ハッと気づきました。もしかして、失敗することを望んでいるのか。というか、資本主義社会が発展していくことの1つの形というか流れはこういうことなのか…。無理矢理、市場を細分化しようとすること、いや、実際は既に相当細分化が進み、地方自治体を支えるはずの共同体は崩壊し、個人の精神は分裂し不安症的な状態が日常となっているところにさらなる個体化、これはどう考えてもわざと失敗の方向へと導いているのではないのか…。政府というか、さらなる資本主義はその先のことを想定しているのか…。例えば、地方や個人に対して、これだけ自律(自立)する機会を与えているのに、皆さん、やっぱりダメでしょとなった途端、やはり国の支援を受け、国の言う通りにやった方が、安心でしょとなる。政府による再統合…。政府、もしくは首相などに権力が集中していく形。そうした形を補完するための機関と成り下がる司法(統治行為論)…。いやはや、きな臭い。そうなれば、例外状態において、原発を動かそうが、基地を作ろうが、戦争をやろうが、おかまいなしとなる。

 こうした流れの不気味なことは、おそらく、個人の判断云々とは関係なく、グローバル化された今日の社会において、一層の資本主義的な発展を目論むとすれば、否応なしにこうした流れにならざるを得なくなるということです。ここまでは、人類にとっての負のリピート。結果として過去の人類は、安直な方法である戦争などによるリセットの道を選んだんだと思います。多分、どの時代でも、こうした流れに対して抗い異議を訴えた人々はいたはずだと思う。そうした人々は、独裁的な権力者のもとに組み込まれることを拒み、少数者の自由と自律(自立)と自己決定権の回復のために闘ったに違いない。その闘いが強力であればあるほど、時の権力者は自己のあり様の正統性(正当性)を高めるために、強権を持ってしてそうした抵抗を弾圧したに違いない。逆らうとろくなことになりませんよと、他の者たちに分からせるという意味も折り込みつつ。

 今、沖縄での闘いは、こうした日本社会の流れの分水嶺になっているのかもしれない。僕たちは、どういう未来を望むのか、特に、子どもたちの未来において、誰しもが考えなくちゃならない当事者的な問題であることを皆が肝に銘じなくちゃいけませんよ。

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沖縄スタディツアー・メモ書き

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 友人が主催をしている夏の沖縄スタディツアーに、無理を言って潜り込ませて頂きました。とてもよく練られたスタディツアーで、相当にいろいろなことを触発させられました。触発され考えたことの一部ですが、忘れないようにするためにメモ書きを残しておくことにします。

〈スタディツアーで考えたことの仮説的メモ〉

「記憶を伝えていくことの意味について」
[沖縄の人々の場合]
 暮らし(生活)というアクチュアルな場において、沖縄戦体験者と非体験者が世代などを越えて対話をすると、その対話は自ずとディアローグ的な対話となる。結果として、そうした行為によって引き出される気づきは、コモンセンス(絶対的な他者)としての「生命(イノチ)」の存在を共通に認識させることになる。

[非戦争体験者による平和ガイド的な実践(運動)]
〈教える-学ぶ〉ことの実践者(運動者)である非戦争体験者による平和ガイド的な試みは、当事者ならびに聴衆(学習者)と非対称的な関係(立場の相互交換性も含め)であるがゆえに、その対話は、ディアローグ的な対話にならざるを得ない。運動としてのディアローグ的対話の積み重ねは、コモンセンス(絶対的な他者)としての「生命(イノチ)」の存在の気づきに繋がる。

[ガマにおける共同性の意味についての試考]
 ある意味で、確立された共同体(社会)であればあるほど、共同体内で行われる対話はモノローグ的なものが中心となる。モノローグ的対話が中心である共同体(社会)は、内省主義的な傾向を強め、いつしか自己の存在証人(承認)としての絶対的他者(ヘーゲル的)を必要とするようになる。代表的な絶対的他者とは、「神」のことであろう(国家の統合システムと調和的)。例えば、ヨーロッパ社会の場合は、その神がキリストと重なるのは言うまでもない。一方で、欧米化を強く押し進めた日本の場合、その神は、戦前であれば「天皇」であったであろうし、戦後であれば多分に偽装的ではあるが「貨幣」となるであろう。

 強力な共同体性を確立した集団が(おそらく沖縄だけでないと思われるが)、沖縄戦下におけるガマのような閉ざされた空間に押し込められた場合、そこでの対話はモノローグ的なものが中心となるであろうことは想像に難くない。モノローグ的な対話を積み重ねる集団であるいじょう、結果として、その集団は絶対的他者としての神の存在を必要とすることになる。こうした状況が本土の集団であったとしたら、日本的伝統やら日本的近代教育の成果によって、多分に規律化されていることから、その神は自然の流れとして「天皇」となったに違いない。確かに、琉球処分以降の日本への統合政策や、日本国民への同化教育などによって、既に相当の規律化が進んだ戦中の沖縄であったと思われるが、ガマの中において、最終的に必要とされた絶対的他者は、本土人にとっての神である「天皇」ではなかったのではないのか。彼ら沖縄の民衆にとっての絶対的他者に相当したであろう神的な存在とは、何であったのか。彼らの本来的な神であったはずのティダの神という名からも連想されるような絶対的他者の存在とは、やはり、その象徴である太陽の力によってスデルものである生命一般(イノチ)だったのではないのだろうか。しかし、実際には、「イノチ」が一番大事なものであると気づき、行動として実践した集団としなかった集団がいたことも事実であるだけに、結果としての絶対的他者が「イノチ」ではなく、「死」となってしまった違いはどこにあったのか、もう少し丁寧に考える必要もあるだろう。

 しかしながら、ここでたいへん興味深いことは、ディアローグ的な対話を積み重ねることで気づくはずのコモンセンスとしての「生命(イノチ)」の存在を、沖縄の人々は、モノローグ的な対話を強いられた結果としても気づいた点だ。それは、おそらく社会の前提が違うということであろう。したがって、沖縄の人々と本土の人々との対話は、本来はディアローグにならざるを得ない。そうだとすると、もう1つの仮説として、沖縄が日本に組み込まれようとした段階から、否応なしに、ディアローグ的な対話は始まり、今も続いているのかもしれない(運動)。

 もう1つの視点として、ガマの中でモノローグ的対話に終始した結果、絶対的他者の存在としての「死」を覚悟した集団と、何らかの契機によって、ディアローグ的な対話をしたことによって、自分たちにとってのコモンセンスを思い出した集団がいたのかもしれない。となると、どちらにしても価値観の転機となったのは、どういった形であったのかは明確には言えないが、やはり、ディアローグ的な対話だったのかもしれない。どちらにしても、そこらへんのことは、もっと丁寧に検証する必要があるだろう。

 戦後の本土、日本は、モノクローグ的対話(経済発展第一主義的政策と一致)が中心の社会であった。ゆえに、彼らにとっての絶対的他者は「貨幣」となったのだが、そうした価値観を変換させるには、運動としてのディアローグ的対話の継続が必要であることは、とてもよく分かる。現在、今までモノローグ的な対話が中心であった日本社会において、若者たちを中心としてディアローグ的な対話を主張する運動が広がってきている。〈教える-学ぶ〉行為を内包したこうした運動は、絶対的な他者としての「生命(イノチ)」の存在の重要性を、コモンセンスとして再び人々に気づかせるものとなるだろう。
 こうしたディアローグ的な対話を中心とした社会の変革運動の先駆として、沖縄での平和運動がある。

[原動力としての暴力の問題]
 「イジメ」問題等、日本の社会構造の問題、ベンヤミン『暴力批判論』を参照。

 他にも、いろいろなことを想起しました。今回のようなスタディツアーこそ、ディアローグ的な対話を中心とする、まさに、「学び」の実践運動のただ中だということを再確認させてもらいました。よい時間を作っていただいたことを、こころから感謝します。自分のフィールドワークも早めに準備をし、来年もちゃんとやろうと思った次第です。

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オル教論・まとめ的つぶやき

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 僕にとって至福の時間である若者たちとの対話の時間が、一区切りつくこの時期…、まとめ的なつぶやきを少し残しておくことします。

・教育におけるオルタナティブ教育の位置(教育の相対化)

 […]オルタナティブな教育である私のオルタナティブ教育の教育における位置について、検討しておきたいと思います。資料にある概念モデルを見てみてください。教育を歴史的概念である近代概念であると見た場合、教育のありようを規定する意味で、今回注意を払っているのが、近代国民国家の存在を限定し、近代教育を規定している軍事/非軍事という要素であることは既に説明しました。このことから、欧米の教育と日本の教育は、その基底コードが違う教育であるということが明らかになります。そうしたコード内において、欧米においては、軍事による存在規定が前提である国家の教育である以上、それが国家教育であれ、オルタナティブ教育であれ、前述したように、その教育によって作られる主体が、時代時代によって軍事によりその存在が保証されている近代国民国家へと回収されていくので、ある意味で、弁証法的なサイクルを同一コード内(言語ゲーム内)で繰り返すということになります。内省中心であるということからも、教育という言語ゲームの外に出ることはできず、絶対的他者を必要とするトートロジー的な機能を繰り返すことになるのです。

 それに対して、日本の特にオルタナティブ教育では、対話(ディアローグ)が中心の行為となるので、そこには、非対称的な関係である〈教える-学ぶ〉という環境が成立し、そうした運動を繰り返す中、実践的直観が生起することによって、学びの先にある絶対的な他者としての生命(連続として命/生きること)の存在を展望するようになるのです。
 つまり、欧米の教育は、内省が中心であるがゆえに、国家教育であれ、新教育であれ、自らが主体的に行ったと自覚する学びという行為であっても、その行為を創造的(生成的)であると認めるのは、絶対的他者であるところの神の意志の範囲であるということとなり、真の意味としての学びには繋がらないのです。それに対して、日本の教育、特にオルタナティブ教育では、その活動によって生起してくる学びは、自身の生命(生きる意志)によって裏付けられたものであるだけに、生きることに直結する真の学びとなる可能性を持つのです。学びと生命との関係については、私が定義した学び定義を読み直してみてください。

 さて、今回のオルタナティブ教育論での検討の射程は、ここらへん、すなわちオルタナティブな教育である「オルタナティブ教育」(教育の相対化)から、教育のオルタナティブである「学び」の存在への展望(教育の脱構築・教育の脱領土化)という所まで十分だと思います。ですが、今後の思惟に繋げる意味で、その契機となるであろう点、言い換えれば課題についても少し触れておくことにします。

・なぜ、私たちは引き戻されなかったのか?

 オルタナティブ教育を教育という領野において確立することは、結果として、オルタナティブな教育を確立するということで、教育の相対化を進めることになりました。教育の相対化を進めると、一般的な視点で言えば、その思想や理念は、独我的なものとなり、文化相対主義や本質主義的なものになりかねません。

 私たちに関係していることで説明すれば、例えば、登校を拒否している子どもに対して、学校には無理してまで行く必要はないと言うのではなく、学校に適応させ戻そうとすることです。この時の支援者の視点は、自身を学校というシステムの中の一組織であるとするような(学校信仰)、制度内価値観における対象的な視点となります。そこでは、真の対話は成立せず、そうした子どもたちは、救済の対象となり、逸脱した可哀相な子どもたちを早く正常な状態へと戻そうとする、まさに、独我的な存在としての支援者となります。内省を美徳とする近代国民国家においては、支援者も子どもたちも、学校化された社会によって再生産される自律的主体にその意識が回収されていくのです。欧米社会では、そうした価値観を保証しているものが宗教であったりしますが、戦後の日本では、そうしたシステムは稼働していないので、それに変わるものとして、学校そのものが、国家としての自律主体(貨幣を獲得することを第一とした)を国民に刷り込むシステムとして宗教的な役割を担っているわけです(学校信仰)。そうした状況下において、私たち自身もこのような学校信仰(学校神話・法的暴力)を刷り込まれてきたわけですから、本来であれば、救済者として振る舞ったとしてもおかしくなかったはずです。実際、多くの支援者と称する者がそうした立場を取りました。不登校という実践運動している子どもたちからしてみたら、そうした視点は迷惑なものでしかありません。彼らは何も学ぶことを拒否しているわけではなく、学校信仰(家族関係をも含めた社会のあり方)という価値観に対して異義を申し立て、家族や他者との真の対話を取り戻そうしていただけだったのです。今までの話しからも分かるように、こうした真の対話が生命の問題に繋がっていたことは明らかです。不登校の問題などの最悪の解決が、自死であったりするのは、逆説的ですがこのことの説明になります。学校信仰・神話の恐しいところは、このように不登校であれ、イジメであれ、子ども自身が行った内省行為によって、命を絶つことで解放されようとする結果を導くことです。

 一方で、私たちの場合は、そうはなりませんでした。なぜ、私たちは学校信仰に引き戻されなかったのか? この視点が、オルタナティブ教育の未来を考えるにおいて、非常に重要な点だと思います。[…]

なんてことをゴチャゴチャと喋っているのでした。

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〈沖縄米軍基地を知る旅〉

 沖縄の米軍基地を巡ろうと思うと、当然、一日で回りきれるわけはありません。しかし、若者たちに伝えたいことあまりにも多く、自然と早口でまくしたてている自分がいます。まずは一路、58号線を北上し、辺野古を目指します。下からは見ることができない普天間基地下を通り、キャンプ端慶覧あたり、伊佐浜前を通るときは、やはり1950年代の初めにあった「銃剣とブルドーザー」の話をせざるを得なくなります。50年代、朝鮮戦争や本土との関係も話さないわけにはいきません。そうこうしていると北谷にさしかかります。北谷では、基地が返還されることの意味を説明しなくてはいけません。よく本土の人たちは、1つの誤解で、基地がなくなったら沖縄の人たちが生活できなくなると、今でも言う人がいます。基地が返還されたことによって、雇用や産業が生まれている事実を知ってもらわなければなりません。

 あーだこーだと言っているうちに、極東最大のアメリカ空軍基地嘉手納基地に到着します。基地の内側まで見るには、やはり「安保の見える丘」に立った方がよいと分かり、最近は、道路を渡り黙認耕作地を横切り丘に立ちます。あまりに広い嘉手納基地、でも目の前に広がる滑走路の部分は、全体の一部でしかありません。F15戦闘機やP3C対潜哨戒機が、頻繁に離発着をしています。まず、その騒音に皆、驚きます。嘉手納基地の特徴的なことは、米軍の様々な情報収集用機体が勢揃えしていることです。米軍の目と耳の機能が集中している基地だと言えます。また、基地内の設備も来る度に刷新されていることがよく分かります。今回も左手奥には新しいハンガーが建設されていました。こうした設備の多くは、日本からの思いやり予算等の援助によって作られています。そんな実際を見せつけられると日本は十分に米軍に貢献しているのに、まだまだ不足なのかいね…、と考えさせられるわけです。しかしながら、米軍の占領時代に収用というか基地にされた所の多くが、沖縄の土地の中でも広々としたよい場所にあることに気づかされます。普天間基地などの歴史を見てみると、今、基地がある所には昔から村の中心地があり人々の生活の場があったことが分かります。今、米軍基地がある所の多くには、沖縄の人々の暮らしの場があったのです。その名残として、お墓があり、御嶽がありと先祖の供養もままならぬ時間が過ぎ去っているのです。戦後、収容所から戻ったとき、生活の糧であった農地をはじめとする暮らしの場を失った人々は、行くあてもなく基地の周りに留まるしかなったのです。

 沖縄の人々の現在の状況の多くが、選択肢のない中、そうせざるを得なかった結果なのです。そうしたことを考えると、沖縄に関係する特に基地の問題などを本土の人が考えるとき、忘れがちのことは、原則としてそうした問題の前提というか、スタートラインの状況が本土の人たちの経験とはまったく違うということです。最近の政府の物言いは、そのことを完全に忘却をしています。沖縄における基地負担を軽減させるのは、政府の役割であり沖縄の人々が自ら負担軽減案などを作成するなどというのは本末転倒であると言わざるを得ません。そうした態度こそが、上から目線の何ものでもありません。フィールドワークなどに行くときは、そうした場所に私たちがお邪魔させていただき、いろいろなことを学ばせていただくという意識を忘れてはいけないと思っています。

 中部から北部に連なる米軍基地を縫うように北上していきます。キャンプハンセン内を通る沖縄自動車道の伊芸のSAでいつもだいたい一休みをします。海兵隊の基地であるキャンプハンセンは、実弾を使った演習ができる基地で、演習地域にはレンジという名称がついています。そのレンジに近接をしているSAのある金武の町では、実弾演習の流れ弾による事故がひっきりなしに起きています。そんな日常がここにはあります。90年代後半まで行われていた県道越えの射程が20キロメートル以上ある榴弾砲の演習は、あまりに危険だということで、本土の基地へとその場所を移しました。復帰前から行われていた榴弾砲の演習は、日本への復帰とともに中止されるものだと沖縄の人々は皆思っていました。しかし、演習は中止されず、結果として沖縄の人々が声を上げたことによって演習は移動することになったのです。裏切られ続けている痛みの痕跡があちらこちらに残っているのです。

 龍神様が祀られている広く青い辺野古の海、そこに熱いジェット気流を吹き付けながら飛ぶオスプレイが離発着する飛行場や、強襲揚陸艦が横付けできる港を持つという新しい基地が建設されようとしています。普天間基地移設という名のもとの新基地建設、普天間の5倍の広さ、機能強化…、「もうこれ以上、新しい基地を作らないでください。」という県民の声も無視された上、普天間基地の閉鎖と新基地建設は連動した事項ではなかったにもかかわらず、いつしか、普天間基地閉鎖の条件であるかのように政府は言い続けています。

 辺野古に来て、建設反対のテントやキャンプシュワブのゲート前に立ち寄り、抗議の行動をしている方々にお話を聞かせていただきます。そこでは、沖縄の方々を中心として、本土から来られた方々も肩を並べて抗議活動をしています。こうした抗議の活動を疎ましいと思っていられる方々が、よくこうした活動は本土から行った者たちが中心で地元の人はいないなんて言う人がいますが、現場に来ればそんなことはないのが直ぐに分かります。むしろ、こうした問題の根源が本土の方にあるだけに、本土からの応援の人々が少なすぎると思ったりします。本土の方々が沖縄の基地問題を自身の問題であると理解している人があまりに少ないということです。そして、闘いの最前線で身体を張って抗議の活動をしていられる沖縄の方々の話を聴いていて気づくことは、確かに、沖縄にこれいじょうの基地を作らせないという気概が伝わってくると同時に、いのちを守るというもっと大きな志が彼らの活動の原動力になっていることに気づかされます。

 沖縄で行われてきた数々の平和運動において、私たちが知っておかなくてはいけないことは、その運動の原動力が一見すると地元の利益だけを守るための運動のように見えるかもしれませんが、その大本には必ず、人すべてというか生き物すべてにおけるいのちの存在を守ろうとする意識がその運動を支えていることです。沖縄の人々が、必ずやこの境地に至ることは非常に重要なことであると思っています。このように沖縄で発生をしている特に軍事に関係しているような問題の本質が、本土の人々を含めた問題であると同時に、人間のあり様をも問うすぐれて普遍的な問題な繋がっていることの証でもあるのです。

 表現としては適切ではないかもしれませんが、現場の方々との対話が私たちを正気に戻らせるのです。さらに北にある高江にも行きたかったのですが、時間の関係で叶わず後ろ髪を引かれる思いで山原を後にしました。途中、今年は、コザにある「戦後文化資料展示室ヒストリート」に寄りました。戦後コザ文化の中心地であった場所にあるこの資料館は、コザの街の歴史をアクチュアルに伝えるものとなっています。常駐されている学芸員の方から、丁寧な解説していただきました。午前中に実際見てきた場所などの説明もあり、たいへん臨場感あるものとなりました。と気づくともう、夕闇せまるころとなっていました。

 那覇に向かい58号線を戻っていくのでした。そんな私たちの頭上を、夜間訓練なのでしょうか、軍用ヘリが爆音をたて横切って行くのでした。基地との背中合わせの生活が24時間続くここ沖縄…。

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