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空のむこう

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 最近、若者たちに「自明性を疑え」といいつつ、僕たちは何を目指すべきなのかと、今さらながらよく考えます。

 これまた今さらながらだけど、マルクス先生などを読み返すと、今の日本の状況は先生の言ったこととその多くが重なります。例えば、資本主義社会が経済的な発展を目指し続けると、社会的な格差や人々の精神的疎外が大きくなる等…。結果として、これまた社会はこうした状況を止揚すべく、ある意味で自動的に変革というか、否応なしに社会の構造が変化せざるを得ないという。先生の言うところのより一層社会化された社会とは、生きるための平等とか自由が保証された社会…。こうした社会のことを、後の人々が言ったような、社会主義的な社会というのかもしれません。

 彼のこの展望のミソは、より一層の効率的な経済発展を目指した資本主義政策を推し進めるなら、自動的にこうした社会構造に変化せざるを得ないとしているところです。でも、こうしたある意味で平等で自由な社会は、一部の既得権益や独占的資本を持っている人たちにしてみれば、自分たちの持つ権利や資本を手放し再分配を強制するものとなります。したがって、そうした一部の人たちは、たぶん資本主義経済がより一層発展し市民にとって平等な社会になることを拒むに違いありません。その拒否の仕方とは、おそらく高度な資本主義的な発展がある一定の段階まで到達したら、一度リセットさせ、それ以上は発展させないというやり方となるでしょう。

 いわゆる資本主義発展の両輪が、「新市場の開拓」と「技術革新」にあるのだとしたら、発展を停滞もしくは部分的に差し戻し、偽装的な発展状況を再び作りだすためには、飽和した市場の再編成ならびに、日常生活では直ぐには必要ないけれど、いかにも市場における優位性を誇れるような特殊な分野の技術革新を促すことになるでしょう。つまり、より一層の社会化された社会への流れを阻止するためには、おそらく、定期的に戦争を起こすことが必須となるような気がします。権益や資本を持つ一部の権力者たちは、既に本人の自覚がないままの自動操縦かもしれませんが、彼らは使い勝手のよい形に構築された教育とかメディアだとかという社会システムを利用し、来たるべくリセットをするための戦争準備を怠っていないということになるのかもしれません。言い換えれば、戦争を起こすことの正当性を担保するための準備を着々と進めている、と言ってもいいのかもしれません。いざ戦争になったとき、国民の多くがそれではしかたがないと、戦争をすることに理解をしめすような状況を作るということです。

 そんなことを考えていると、自明性を疑ったうえで、僕たちは当面、何をすべきかと想いを巡らせば、とにかく戦争に繋がるような流れは、どのようなことであれ阻止をするという一点につきるのではないかと強く感じているこの頃です。

 内容が古くなってしまいましたが、以前書いた教育にまつわる「多様性」について考えた論考です。興味のある方はどうぞお読みください。

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